ゴム鞠の鎮座する勉強会 新しい町って、どこだろう
白霜の月・不死鳥の日――(現暦換算:二月二十六日)
今日は学校は休み。そして来週からは学年末の試験が始まる。
そういうわけでリリスとユコは、今回もラムリーザの部屋にやってきて、一緒に試験勉強だ。
といっても、ユコと一緒にいられる時間は残り少ない。机に向かう理由は試験でも、話したいことのほうが先に溜まっていた。
リゲルとロザリーンは、いつも通り二人で図書館に行って勉強するらしい。
リゲルの言い分では、ソニアやリリスと勉強したら成績が落ちるとのことだが、ラムリーザとしてはそれを否定できないのが残念だ。さらに「自分のハーレムは自分で面倒を見ろ」とのことだが、それは違う。違わないかもしれないが、違う。
さて、今日は勉強目的ということで、リリスとユコは学校の制服で現れた。
最初に勉強会を開いたときは、二人とも遊ぶ気満々だった。しかし、ラムリーザが見せたゴム鞠破裂を見て以来、勉強会は今のところ真面目に行われている。
「それはいいね、よし、こっちも着替えるぞ」
ラムリーザはそう言うが、ソニアは一言「やだ」と答えた。相変わらずの、制服嫌いだ。
「言うことを聞かない娘は、桃栗の里~」
桃栗の里、自宅から通えない学生のために用意されている学校指定の寮。そこをラムリーザは、ソニアに言うことを聞かせるための脅しとして使っていた。
そう言われてソニアは、しぶしぶ着替え始める。
ソニアが制服を嫌がる理由の一つは、胸が大きすぎてブラウスの上から二つ目のボタンまでとめることができない点であった。最近は上から三つ目も危うい。
胸に合わせたサイズのブラウスにすると、それ以外の部分がゆるゆるのだぼだぼになってしまう。それを回避するには特注サイズか、半ば冗談だが乳袋しかないだろう。
だから、ソニアは制服のリボンを結んだことがない。そういうことが、風紀委員であるケルムの心象を悪くしているのだ。そういえば、ケルムはユグドラシルに次いで、生徒会副会長に就任していた気がする。
「こうしてみると、ソニアの格好ってエロっぽいわね」
ソニアの着替える様子をじっと凝視していたリリスは、くすりと笑う。
確かにブラウスに収まっていないはだけた胸は、それだけで存在感を強烈に放っている。そこに健康的な生足まで覗いている。
本来ならばサイハイソックスが太もものほとんどを覆っていて、スカートの裾から覗いている肌は、せいぜい数センチぐらいのものだ。しかし、学校に行かない限りソニアは履こうとしないので、今は生足丸出しだ。
「色っぽさと大人しさを、ギリギリのバランスで保っている制服ですの」
ユコの評論も、それっぽく聞こえる。深く考えるとよくわからない評価だが、深く考えてはいけない。
「ブラウスじゃなくて、トレーナーでもいいのに。あと靴下もなくて素足でも問題ないならいいのに」
ぶつぶつとソニアは文句を言っている。
去年までは、私服自由の学校に通っていたので、ソニアは好き勝手な格好をしていた。しかし、今年からは制服に縛られて、不満を募らせているのだ。
「私服自由の学校に転校するのなら、手続きをしてもらうよ」
ラムリーザは、ソニアが自分から離れたくないと思っているのを知っているので、ソニアに言うことを聞かせるときは、いつもこんな調子だ。もっともラムリーザ自身もソニアと離れたくない、それが故に無理を通して一緒にここへ連れてきたわけだが、そこは駆け引きだ。
さて、準備が出来たところで学年末試験の勉強が始まる。
「私にとっては、この学校の最後の試験勉強なんですのね……」
ユコは、寂しそうにつぶやいた。ユコは、父親の転勤と共に、次の春から新天地へと旅立つことになっていた。
「ユコの成績なら、新しい学校に行っても恥ずかしい思いをすることはないさ」
ラムリーザは、そう励ます。今のユコには、そう言うしかない。
ただ、ほぼ中間レベルのユコぐらいの学力なら、学校次第でどうなるか分からないところもあった。今の学校よりもレベルが高ければ悪いほうへと順位は落ち、逆にレベルが低かったら優等生の仲間入りだ。
「ソニア学園に入れば、ユコは成績優秀者になれるわ」
リリスは、いつ何時もソニアを煽ることは忘れない。言いたいことはわかる。ソニアぐらいの成績の者ばかりが通っている学校だと言いたいのだ。当然ながら、ソニアはすぐに噛み付く。
「何よ! その代わり、全校生徒で一番のちっぱいになる!」
噛み付き先が少しずれているが、全校生徒がソニア並の胸のサイズになると、それはそれで怖い。
こうなると、二人の不毛な舌戦の幕開けだ。
「恐怖の風船学園ね、風船おっぱいお化けの大群。教室の座席には、乳置き場まで完備されていて、五キロの重さを気にすることもなく、授業を受けられるようになっているのよ」
「そんな変なところじゃなくて、吸血鬼学園に行けばいいの! 生徒全員が陰湿な根暗で、暗がりの中で手探りで授業を受けるの。当然常時私語禁止! そんでもって、みんな役立たず魔女!」
「はい、意味のない喧嘩は止め」
ラムリーザは、ソニアとリリスの意味不明な舌戦を停止させる。どちらの提案する学校も、気味が悪いことこの上ない。
乳置き場って何だよ、想像できないぞ。ラムリーザはそう思いながら、四人が向き合うテーブルの上、ちょうど真ん中辺りに、いつも握っているゴム鞠をそっと置いた。
ゴム鞠を見ると、パタリと無駄口が収まる。いい感じに牽制になっている。
テーブルの真ん中に鎮座するゴム鞠は、まるで古の邪神の祭壇のように、二人を黙らせていた。
時折、リリスが毒を吐きそうになり、ソニアの喉がうなり声を上げそうになるたびに、ラムリーザは黙ってゴム鞠を強く握りしめる。
それだけで、ペンを走らせる音以外のすべてが消えるのだ。恐怖政治とは、意外と効率的なものらしい。
そのまま二時間ほど、黙々と勉強を続けていた。
休憩時間、用意していた饅頭にかぶりつきながら四人は雑談を始めた。
「それで、ユコはどこの学校に行くんだろう。すぐに会えるような近くだったらいいね」
「近かったら転校なんてしなくていいはずですの」
「それもそうだね、それじゃあやっぱり帝都かなぁ」
「お父様は、新しい町と言っていましたわ」
新しい町と言ってしまえば、初めての場所ならすべてだ。ラムリーザも、ほぼ一年前に、新しい町へ引っ越してきたことになる。そしてもうすぐ、フォレストピアへ移る。
その言葉が、ラムリーザの予定と同じ方向を指している気がしてならないのに、誰もそこへ手を伸ばさない。
机の上には饅頭とノートだけが並び、話は当然のように別のほうへ流れていく。
「新しい町かぁ。ユコはどんなところに住んでみたい?」
「そうねぇ、海に憧れますわ。帝国最南端の港町、アントニオ・ベイとか。これまでにも何度か引越しはありましたが、海辺の町はまだ行ったことがないんですの」
ユコの緑色の瞳が、窓の外の何もない空を映して、どこか遠くを見つめている。彼女にとって、引越しとは日常がリセットされる儀式のようなものなのだろう。
現在住んでいるポッターズ・ブラフは内陸の町なので、身近なところに海がない。
海の近くに住むとはどのような感じだろうか? ラムリーザは、キャンプでしか海の近くで暮らしたことはなかった。
フォレスター家のルーツは、アントニオ・ベイ地方の海辺だと聞くが、それはラムリーザが生まれるずっと前の話である。ラムリーザは、生まれた時から帝都暮らしだった。
「海と山は、どっちが好きだい?」
ラムリーザの問いに、ソニアは「海」と答えた。ラムリーザがなぜかと聞く前に、リリスが口を挟んでくる。
「風船は海に浮かぶけど、山だとただの重りですものね、くすっ」
「むっ、リリスは山に行ったらやまんばになるから、海に行くしかない! いや、海に行ったら磯女になるからダメ。リリスは外に出たら妖怪になるからダメ! 家の中に篭って根暗吸血鬼になるしかないの。あっ、家の中でも妖怪だ! 終わってる!」
べらべらと喋り続けて、ソニアはリリスを攻撃しているつもりになっている。
ラムリーザは、迂闊な質問をして争いの種を撒いたことを後悔した。この二人の舌戦は、何が引き金になるか分からないから困る。
「あっ、ココちゃんがありますわ」

一方ユコは、部屋に転がっている白いぬいぐるみのココちゃんを見つけて抱き上げる。抱っこしながら、「このぬいぐるみ欲しいんですが、ちっとも懸賞に当たらないのよねぇ」と言っている。
「ぬいぐるみじゃない、ココちゃんはクッション!」
相変わらず、クッションとぬいぐるみの狭間で揉めているソニア。彼女以外には、ぬいぐるみとクッションの違いが分かっていない。そもそも違いがあるのかどうかすら怪しい。
一度ラムリーザはクッションである理由を聞いてみたのだが、「クッションって書いている!」とだけソニアは答えてくれた。懸賞の説明書きに、ココちゃんぷにぷにクッションと書いていたとかどうとか。
その時ラムリーザは、「書いているなら仕方ないよね」とだけ答えておいた。
「ぷにぷにクッション」と書いてあるから、クッション。ソニアの論理は、いつだって鉄の意志よりも強固だ。
抱き上げられたココちゃんは、ユコの胸元で無惨にひしゃげているが、その無表情な顔は「僕も被害者です」と訴えているように見えなくもなかった。
「ああそうそう、試験明けの帝都ライブが、僕たちの参加する最後になりそうなんだ。ジャンも本格的に二号店の運営準備に取り掛かるって言っていたし。そうなったら、さらにその次は、いよいよフォレストピアでのライブだよ。だから、来月は割と暇かも……」
ラムリーザの説明を聞いて、ユコはまた寂しそうな顔をする。
「いいなぁ、フォレストピアでのライブ。私はもういなくなっちゃうし……」
「あ、でもそうでもないかも。汽車で移動可能なところに引っ越したのなら、ライブの時だけ会って一緒に演奏することも可能だと思うよ」
もしも、ユコが帝都よりも西側に引っ越すのなら、これまでと同じぐらいの労力で新開地フォレストピアに来ることもできる。そうなれば、ラムリーザの言うとおり、ライブの時だけ毎回会うことも可能だ。
「それなら、寂しさも少しは和らぎますね」
ユコは、にっこり笑って言った。
そう言って笑った唇の端が、ほんの少しだけ震えた気がした。見なかったことにして、ラムリーザは話題を明るいほうへ押し戻す。
「来月中に、盛大なお別れパーティーを開催してあげるよ。ジャンにも話を通しておくから、楽しみにしているんだね」
ラムリーザはそう言ってから、「さて、休憩終わり、勉強再開」と言ってソニアたちを叱咤し、試験勉強を再開するのだった。
折角のんびりできそうな春先。それをソニアたちに、補習で潰させたくなかった。
「新しい町」――そう呼ぶだけで、何も決まっていないはずなのに、もう決まってしまったことみたいに胸の奥で鳴る。