支持の理由
竜神の月・旅人の日――(現暦換算:一月十日)
年末年始の休暇は終わった。
久しぶりに学校へ行くと、次期生徒会長に立候補した生徒の一覧が発表されていた。いよいよ間近という空気だ。それと同時に、各立候補者を応援するポスターも作られていた。
始業前の時間、いつもの、そして久しぶりの光景だ。
ソニア、リリス、ユコ、ロザリーンの四人は、それぞれいつもの座席の場所に移動して集まっていた。生徒会に興味がないといった感じで、まったく違う内容の雑談をしている。
その横でラムリーザは、傍にくっついてきているソニアにもたれかかって、外の景色を眺めていた。今日はなぜか、屋根の上にアヒルがいるという不思議な光景だった。
「ギョウニョウって知っているかしら?」
リリスの問いに、ソニアは「知らない」と答える。
「凝縮した尿よ」
リリスは真顔でソニアに説明する。凝縮した尿が何なのかも、尿を凝縮して何の意味があるのかも、さっぱりわからない。そもそもそんなものが存在しているほうが不思議だ。
ラムリーザは、勝手に聞こえる雑談に意味を持たせようとしてみたが、どうもうまくいかない。
「汚いですわね」
顔をしかめるユコを気にもせずに、リリスは解説を続けた。
「ハマクリボウフォローチョ凝尿ってのが、闇の雑貨屋で――」
「そんなの要らない!」
ムキになって、ソニアは食い気味にリリスの言葉を遮った。凝尿は、闇の雑貨屋で販売しているらしい。
ラムリーザは、意味のなさそうな会話は考えるのをやめて、今朝登校時に出会ったユグドラシルとの会話を思い返していた。
「ラムリーザ君、いよいよ自分が大きな一歩を踏み出す時が来たんだ」
休暇明けの登校中、ラムリーザの姿を見つけたユグドラシルは、急いで駆け寄ってきて言った。ユグドラシルは、生徒会会長を狙っている。
「ああ、そういえばそういう時期ですね。ユグドラシルさん、がんばってください」
「そういうわけで、ラムリーザ君にも応援をお願いするよ」
「微力を尽くさせていただきます……、と言いたいところだけど、実際のところ何をやったらいいのかわからないです。応援演説とかですか?」
「いや、応援演説は、現会長のジャレスさんにやってもらうことになっているから大丈夫。ラムリーザ君には、クラスメイトや知り合いたちに呼びかけてくれるとかでいいよ」
「わかりました、できるだけのことはやってみます」
ラムリーザの背後では、凝尿を巡ってソニアとリリスの口論が繰り広げられている。
「生徒会、か」
こういうのは、やりたい人にやらせてしまうのでよい、ラムリーザはそう考えていた。それに、文化祭実行委員長としての実績から言って、ユグドラシルは適任だと思っていた。
「もぉ! ラムは凝尿なんて販売するの許せないよね?!」
突然話を振ってきたソニアに、ラムリーザはめんどくさそうに「そんなの、実際に飲んでみて決めればいいだろ」と適当なことを言って、くっついているソニアから離れるように席を立った。
リリスの「凝尿なんか飲むの? ソニアも物好きね」というからかいと、それに対してまた文句を言い出すソニアを後に、ラムリーザは教室の後ろをうろつく。
応援と言っても、応援ソングを作ることはできない。作曲はできるが、作詞ができないのがラムリーズの欠点だ。それでもラムリーザは、なんとか応援ソングを考え出そうとしてみた。
――私はユグドラシル、夢と希望は風船のように1mも膨らんで――
いや、これではソニアの応援ソングだ。いや、応援にすらなっていない。
そんなことを考えながら、クラスメイトの中で一番影響力があるだろう人物のところへ向かった。そこには、クラスの集団の中で、男女の混じった一際大きなグループが出来上がっていた。
「レルフィーナ、ちょっといいかな?」
ラムリーザは、その中の中心人物に声をかけた。
「何々? またカラオケバンドやってくれるの?」
「いや、そうじゃなくて、生徒会選挙のことだけど、ユグドラシルさんが立候補しているだろ? 彼を応援してあげてほしいんだ」
仲間を増やすなら、その親玉を懐柔するのが手っ取り早い、というほど単純でもないが、ラムリーザはレルフィーナをくどき落とそうとしてみた。クラス委員長はロザリーンだが、クラスの人気者としては、レルフィーナのほうが上だった。
「ユグドラシルさんって、文化祭の時のあの人? いいよ、あちきも文化祭の時は結構お世話になったし、あの人のおかげで文化祭は楽しかったよ。恩はあるけど、連絡先は知らないけどね」
クラス単位の文化祭実行委員だったレルフィーナは、ユグドラシルと知己があったので話は早かった。
「そう、僕も応援を頼まれてね。だからレルフィーナにも協力してもらいたいんだ」
「いいよ、みんなユグドラシルさんに投票するよ、いいね?」
「そんなことより、レルフィーナが会長になったらいいじゃんよ」
「あちきは祭りは好きだけど、それ以外の仕事はやりたくないの。だからユグドラシルさんね、決定! これで仕事した気になれるから、不思議よね」
これで、このクラスの大半はユグドラシル派になるだろう。文化祭の成功が、ユグドラシルに良い方向へと話を持っていけたようだ。
同時刻、ユグドラシルは以前、週末のパーティーで知り合ったニバスに取り入っていた。一つずつ、一つずつ仲間を増やしていく方針のようだ。
「対立候補は誰だ?」
周囲に美女を侍らせたニバスは、特に生徒会に対して興味のなさそうな雰囲気で尋ねてくる。
「ケ、ケルムさんだよ」
ニバスのハーレムに近づいたユグドラシルは美女に囲まれてしまい、どぎまぎしながら答えた。
「げっ、風紀委員のあいつか! わかった、堅苦しいあいつがトップを取ると、俺の楽しい学園生活も制限されそうだ。お前に入れるよ、君たちもいいね?」
「はぁい、ニバス様ぁ」
これで、ニバスと彼のハーレム集団も、ユグドラシル派となった。
人気の少ない中庭では、ウサリギ一派とレフトール一派がぶつかっていた。
「おいレフトール、お前にはいろいろと言いたいことがあるが、まずはこれだ。今度の生徒会選挙、ケルムさんに入れろよな?」
ウサリギにそう言われて、レフトールは「やだね」と一言だけ答えた。
「じゃあ誰に入れる? って聞くだけ無駄か」
「ああ、俺はラムリーザに入れる。だからもうお前には用はないな」
子分を従えてこの場を立ち去ろうとするレフトールを、ウサリギは回り込んで止めた。
「ラムリーザとやらは立候補してないぞ、ケルムさんに入れろよ。それとは別に、休暇前の話だがな――、ってこら!」
レフトールはウサリギを無視して、反対方向へ立ち去って行く。そこに始業のチャイムが鳴ったので、「授業が始まるぞ」と言いながら、レフトールは子分たちと共に体育館裏へと向かっていった。
一時限目の授業が終わった後、レフトールがラムリーザたちのところへやってきた。
とたんに、ジト目で見つめ出すリリスとユコ。ソニアは先日、ラムリーザとレフトールについて話をしていたので、とくに嫌な視線は向けずにいた。ロザリーンは、根が真面目なので、表向きには特に雰囲気は変えない。
「ラムさん、これ返すよ」
レフトールは、休暇中にラムリーザに言われたように、学校が始まってから金貨を返しにきたのだ。ラムリーザの前の机の上に、金貨を三枚並べてみせる。
リリスとユコは、同時に「あ……」とつぶやいた。
「やぁ、本当に返してくれるとは。こいつはたまげたねぇ」
ラムリーザは、わざと大げさに感心してみせた。
「どうだか――」
ユコはまだ否定的だ。
「――どうせ誰かから奪ってきたのに決まっていますわ」
「いや違うって」
否定するレフトールを、ラムリーザはかばった。
「うん、年始祭で働いていたのを知っているだろう? その時にもらった給金だよね?」
「おお、そうだともそうだとも」
ラムリーザに、「ねっ」と言われて、リリスはジト目でレフトールを見るのを止めた。ユコも納得いかない表情をしていたが、しぶしぶ受け入れたようだ。ロザリーンに至っては、少し好意的な表情に変わっているのに、ラムリーザは気がついた。
ラムリーザは、みんなの敵意が薄れたのを見計らって、机の上の金貨三枚をレフトールのほうへ押し戻して言った。
「じゃあ、この金は受け取れないな」
「え?」
突然のラムリーザの拒否に、レフトールは困った顔をする。
「この金は、レフトールが真面目に働いて稼いだ金だから、レフトールのものだ」
「それじゃあラムリーザ様から奪った金貨三枚はどうするんですの?」
ユコの問いに、ラムリーザはすまし顔で答えた。
「あれは、ポッターズ・ブラフ悪の双璧と呼ばれていた男に奪われたんだ。ここにいる真面目なレフトールじゃないよ」
ラムリーザは、リゲルが時々言っていた「ポッターズ・ブラフ悪の双璧」という言葉を覚えていた。
「だから、今の彼からお金を受け取ることはできないんだよね」
「ラ、ラムさん……」
この瞬間、レフトールの胸の奥で何かが弾けた。権力者に媚びるのとは違う。自分の更生を、真正面から「価値」として扱われたのは初めてだった。
そして目の前の男には、権威よりも尊い何かがある――と。

「だからみんな、レフトールのこといい加減許してやってくれないかな? 僕を失神させたとか言いたいだろうけど、僕もレフトールの指を脱臼させ、顔に穴を開けたからね、おあいこだよ」
リリスは、「いいわ」と答え、ユコも「わかりましたわ」と答えた。
これで、みんながレフトールを受け入れてくれれば、ラムリーザとしてもありがたかった。そのためなら、金貨三枚など惜しくない。
レフトールは目を潤ませかけて、顔を背けて立ち去ろうとした。
「あ、ところでラムさん」
しかし、突然何かを思い出したかのように振り返って言った。
「ラムさんは生徒会長に立候補せんの? 俺はラムさんに入れるよ?」
「あー、それね。僕はユグドラシルさんを応援しているから、君も一緒に応援してくれよ」
「誰そいつ?」
ここが、表舞台に興味を示さなかった、不良時代のレフトールならではの反応だ。文化祭の時も、真面目に参加することはなく、子分たちと体育館の裏でダラダラしていたに違いない。
そういうわけでラムリーザは、レフトールにユグドラシルのことについて説明しなければならなかった。
「ん、俺はラムさんを全面的に支持する。だから、ラムさんが応援するユグドラシルを支持する」
回りくどい言い方をされたが、こうしてレフトールとその子分たちを、ユグドラシル派に取り込むことができたのだった。
「な、こんな感じに仲間を増やすんだよ」
ラムリーザは、ソニアの肩に手を回して耳元で言った。するとソニアは、ラムリーザの腕の下をするりと抜けると、席から立ち上がる。
「じゃああたしもラムの手伝いする!」
そう言って、教室から飛び出して行った。
「僕の手伝いじゃなくて、ユグドラシルさんの手伝いなんだがなぁ――って、待てよ?」
ラムリーザは嫌な予感がして席を立ち、ソニアの後を追って行った。
そして教室から出たところ、隣の教室内からソニアの元気の良い声が聞こえた。
「チロジャル!」
ラムリーザの予想通り、ソニアはチロジャルのところへ向かっていっていた。ソニアは浮気写真事件以降、なぜかチロジャルのことを気に入っていた。
「は、はいぃ、何ですか?」
続いて、怯えたような弱々しい声が続く。気が弱いチロジャルは、爆弾のようなソニアをいつも怖がっていた。
「チロジャルも、モテない残念なロザ兄に入れるんだぞ!」
「ロ、ロザニイって誰ですか?」
「こら! またお前か! チロジャルをいじめるな!」
すかさずチロジャルの幼馴染のクロトムガが、二人の間に割って入る。ラムリーザも、急いでその間に入り込んだ。
「まぁまぁまぁ、みんな落ち着いて。ソニアも騒がない。クロトムガ、よかったらユグドラシルさんを応援してあげてよ。ほら、文化祭の時活躍していたあの人だよ」
ラムリーザは、憤慨しているクロトムガをなだめながら、さりげなくユグドラシルを推してみる。それを聞いたクロトムガは、腕を組んで「どうだか」と言った。
「俺はそのメロンパイが気に入らない。チロジャルを怖がらせてばかりいるから、そいつが推すのと反対の対立候補に入れてやる」
「メロンパイだと?! ――ムガムガ……」
ラムリーザは、憤るソニアを両手で押さえ込み、クロトムガに忠告するような感じで言った。
「いいのか? 対立候補は、あの風紀監査委員だぞ?」
風紀監査委員という単語に、クロトムガははっきりと反応を示した。
「げっ、俺あいつ苦手。わかった、ユグドラシルにしよう」
こうして、ささやかな同意者をさらに得ることができたのだった。
それでも、ラムリーザは思った。
票は、肩書きや家柄だけで動くものじゃない。少なくとも、今日のレフトールの目はそう言っていた。
そしてこの日から、彼の「従う理由」は、権威ではなくなった。
もっと大きな流れとしては、これは貴族の令嬢と首長の嫡男の争いだ。