日常の中の癖
帝国暦九十三年 竜神の月・太陽の日(現代暦:一月上旬)
日が暮れかけた頃、ラムリーザはドラムを叩いて過ごしていた。メトロノームの音に合わせてチェンジアップとチェンジダウンを繰り返しながら、横目でソニアのゲーム画面を眺めていた。
ラムリーザは四分音符、八分音符、三連符、十六分音符、六連符、三十二分音符を繰り返し、ソニアはバッサバッサと画面上に出てくる大量の兵士を槍でなぎ倒しながら、戦場を駆け回っている。近いうちにソニアがラムリーザに対戦を求めてくるのは目に見えていたが、今は一人で遊んで満足しているようだ。
反射的に刻まれるパラディドルの振動が、手首から肩へ、そして脳の奥へと伝わっていく。
メトロノームの音を聞きながら無心で叩いているうちに、ラムリーザはぼんやりしてきて、昼間レフトールに会ったことを思い返していた。
タン、タン、タン、タン、タタ、タタ、タタ、タタ、タタタ、タタタ、タタタ、タタタ、タタタタ、タタタタ、タタタタ、タタタタ――
この日の昼、ラムリーザがあてもなくポッターズ・ブラフの田舎道を散歩していると、レフトールに遭遇した。レフトールもずっとラムリーザを探していたようで、ラムリーザの姿が目に入るとすぐに駆け寄った。
「やっと見つけた。ここで会ったが百年目!」
「おおう、今頃報復かい?」
「とんでもない! 今日はラムさんにいいもの持ってきたんだぜ、へっへっへっ」
「いいものねぇ」
いいものとはえらく抽象的だ。それに、レフトールが持ってきたいいものと聞いて、あまり良い印象は浮かばない。
「ほらっ、これどうだっ」
そう言いながら、レフトールはラムリーザの前で金貨三枚をちらつかせて見せた。この休暇期間に、ストリートファイトや年始祭のスタッフとして稼いできた金だ。
「ああ、そういえばそういう話もあったね」
ラムリーザはそれを思い出して、レフトールから金貨を受け取ろうとした。だが、ふとあることを思い、その手を引っ込めた。
「いやいやいや、この金はちゃんとした金だぞ。奪った金じゃなくてまっとうに稼いだ綺麗な金だぞ」
「綺麗な金って表現はひっかかるけど、その金は学校が始まったら受け取るよ」
そう言ってラムリーザは、盗まれた金を受け取るのを先延ばしにしたのだった。
タン、タン、タン、タン、タタ、タタ、タタ、タタ、タタタ、タタタ、タタタ、タタタ、タタタタ、タタタタ、タタタタ、タタタタ――
ラムリーザは、レフトールが年始祭のときに働いていたことは覚えていた。だから、非合法で入手した金ではないことは知っていた。だが、返してもらうだけではなく、それ以上の意味を持たせようとしたのだ。
チェンジアップの練習を終えて、次はメトロノームの速度を上げて自由にドラムを叩き始めた。晩御飯の時間まで、このまま過ごそうと考えていた。
ラムリーザは、ソニアのプレイしているゲーム画面を見るのをやめ、目をつぶって自分の世界に浸っていた。そのまま、思いつくままにドラムのリズムに合わせて歌い始めた。
――98センチのロケットおっぱいが、風船のように膨らんでいつの間にか1メートルに到達した。1メートルの風船は98センチのロケットをつけて飛んでいった、屋根まで飛んでいった。屋根まで飛んで、壊れて消えた。風船と一緒に屋根まで消えたから、雨が降ったら部屋の中が水浸し。ロケットおっぱいが、風船おっぱいが、僕を困らせる。ロケットおっぱいが、風船おっぱいが、みんなを困らせる――
「ラム!」

一人悦に入って気持ちよく音楽に乗っていたラムリーザは、突然の怒声に現実に引き戻された。目を開くと、ドラムを挟んで正面に、ソニアの怒った顔がある。
「な、なんだよソニア、びっくりするじゃないか。練習の邪魔しないでくれないかなぁ」
「何よ今の歌!」
「ん、えっとね――」
ラムリーザは話しかけながら、おっぱいがどうのこうのと無意識のうちに口ずさんでいたことを思い出した。それほどまでに、ソニアのおっぱいは象徴的だったが、今はそれが原因で怒らせてしまっている。
「――ロケットばびゅーんって歌だよ。ロケットが飛んでいったけど、一緒に屋根まで飛んでいって、みんなが不幸になる悲しい歌なんだ」
ラムリーザは、適当に言葉を選んでなんとかごまかした。しかしソニアは、ドラムセットの向こうから身を乗り出してラムリーザの両肩をつかんできた。
「嘘! 風船とか言ってた!」
さすがにごまかしきれなかったか。風船おっぱいお化けという言葉が生まれてから、ソニアは風船という言葉に対して神経質になっている。
「このロケットの推進力は風船なんだ」
我ながら苦しすぎる理論、とラムリーザは思った。リゲルならどう乗り切るか、いや、リゲルならそもそもおっぱいの歌なんて歌うはずがないなどと、どうにもならない考えまで頭の中で転がしていた。
「1メートルとか言った!」
「ロケットの全長が1メートルなんだ」
「おっぱいって言った!」
「そのロケットの艦長の名前がおっぱいなんだ――あははははっ」
ラムリーザは、自分で言った言葉に一人で受けて笑ってしまった。ラムリーザの笑いは、ますますソニアを怒らせてしまうことになる。
「ラムの馬鹿!」
「うーむ、やっぱりみんなが不幸になる歌だったか……」
ラムリーザは、うんうんとうなずきながら、感心したようにしみじみと言ってのけた。どこにも感心する要素はないのだが。
ソニアは、ドラムセットを挟んでラムリーザの肩をつかんだままだった。そのまま前に動こうとも、後ろに引こうともしない。乗り出した体勢のまま動けなくなった、とも取れる。
ラムリーザは、目の前に迫ったソニアの怒り顔の唇に、自分の唇を押し当てた。こうなったら、清くない交際で黙らせるしかない。ラムリーザの突然の行動にソニアはびっくりしたが、身体を乗り出したまま動けないでいるので、身を引くこともできず受け入れるしかない。
ラムリーザはスティックを脇に置き、ソニアの肩をそっと支えて、短く唇を重ねた。それから、背中を軽く撫でて、静かに息を整えさせた。
「ふえぇ――」
………
……
…
ソニアの怒りは、いつの間にか消え去っていたようだ。ラムリーザの手を借りて、ドラムセット越しの体勢から解放されて立ち上がった。
ラムリーザは、ドラムセットの傍に置いてあるベースギターを手に取り、ソニアに渡しながら言った。
「ほら、一緒に遊ぼうか」
だが、ソニアはギターを受け取らずに首を振った。
「やだ、お腹すいた」
おっぱいちゃんは、わがままだ。ラムリーザは、ギターを元の場所に置いて立ち上がった。ソニアの肩に手を回し、連れ立って部屋から出る。
「少し早いかもしれないけど、食堂に行ってみるか」
食堂からは、厨房を見ることができる。
シチューか何かをことこと煮込んでいるようで、時間がかかりそうだ。
「おばちゃん、晩御飯はいつ頃できそうですか?」
「そうだねぇ。すね肉を煮込んでるから、あと一時間もすれば出来上がるよ」
「やっぱりちょっと早かったかぁ」
ラムリーザは、ソニアの様子をうかがった。おっぱいの歌事件直後なので、あまり怒らせたくない。
「今すぐ食べたい!」
今だけはソニアの機嫌を損ねたくないので、仕方なく料理中のおばちゃんに頼み込むことにした。
「おばちゃんごめん、二人分でいいから今夜は今すぐできるものを用意してくれないかなぁ……」
「そうだねぇ。それならばすね肉は明日までじっくり煮込んで、今夜はビフテキにしましょうか」
おばちゃんは、冷蔵庫から牛肉を取り出して、フライパンで焼き始めた。これなら二十分もかからない。
ほどなく牛肉ステーキができ上がり、少量の野菜を炒めたものと一緒に、ラムリーザとソニアのいるテーブルに運ばれた。
「パンも置いておきますので、一緒にどうぞ」
そう言い残して、おばちゃんは厨房へと引っ込んでいった。
ラムリーザは、しばらくの間自分の肉には手をつけず、ソニアが食べているのを眺めていた。
「おいしい?」
「おいしいおいしい、あたしお肉大好き」
またおっぱいが膨らむぞ、という言葉が出てきそうになるのをすんでのところで飲み込む。ソニアに対しては、「太るぞ」ではないところがミソである。
ラムリーザは、ゆっくりと肉をナイフで切りながらつぶやいた。
「そういえば、この屋敷での暮らしもあと四つの月だなぁ」
次の春からは、フォレストピアの屋敷に移り住むことになっている。いまの生活もあとわずかだ。特にソニアと二人きりという点が、大きく変わってしまう。
ラムリーザは湯気の立つ肉を見つめ、いったんパンをちぎって口に入れた。
「あたし、ここのお部屋気に入ってるんだけどなぁ」
肉をほおばりながら、ソニアは残念そうに言った。
「まあそれは部屋の内装や配置を同じにすることも可能だし、すぐに慣れるよ。しかし――」
ラムリーザは、切った肉をフォークに挿して、目の前をゆらゆらさせながら言葉を続けた。
「――この一年もいろいろあったなぁ」
実家では帝都での十六年を振り返ったが、ポッターズ・ブラフでのこの一年も、なかなかに濃かったような気がする。
「リリスに会ったことが、一番の汚点!」
「それ、メルティアのときにも言ってたね」
ラムリーザは、ここでようやく肉にかぶりついた。長く待っていたことで、すっかり冷えてしまっている。
「どうしてあたしの周りには、嫌な女しか現れないのかなぁ!」
それはソニアにツッコミどころが多いからだ、という台詞を肉と一緒に飲み込んで、ラムリーザは別のことを言った。
「そういえば、昼にレフトールに出会ったよ。僕から奪った金を返すと言い出したけど、後日学校で返してもらうことにしたよ」
「あたしあいつ嫌い。なんで学校で?」
「そのほうが、彼にとっていいからね。それに、彼を嫌わなくてもいいよ。彼も新しい仲間じゃないか」
ソニアは、最後に残った肉片にフォークを刺しながら、不満そうに言った。
「ラムを気絶させたのに?」
「それを言うなら、僕は彼の指を脱臼させ、顔に穴を開けたさ」
ラムリーザは、持っていたフォークの柄をぐにゃりと曲げてしまった後、慌てて元に戻した。ソニアも真似しようとしたが、フォークの柄はびくともしなかった。
「む~……まあいいや。ラムが敵と言うなら敵だけど、ラムが仲間って言うなら仲間でいい」
ソニア得意の「ラムが行くなら行く」の別バージョンが出た。ソニアは、ラムリーザが認めるものなら、無条件で認めてしまう節があった。
「ほんと、この一年は仲間がたくさん増えたね」
「増えてない! 魔女や呪いの人形は仲間じゃない!」
パンをまっ二つにちぎるソニアを、ラムリーザは冷え切った肉を口に運びつつ微笑みながら眺めていた。
本当にいろいろな出会いがあった。
リリス、ユコをはじめ、リゲル、ロザリーン、レフトール、そしてユグドラシル、ニバス。ソニアは隣のクラスの誰かを気に入っていたっけ。名前は確か、チロジャルだったかな。
「いい仲間たちだねぇ」
ソニアの叫びは無視して、ラムリーザは冷えた肉を噛みしめながらしみじみと思った。実りある一年だったと。
レフトールからは、返すべきものは返してもらう。だが、返してもらう「場所」は選ぶ。
それは、他人の感情に振り回されないための自衛本能かもしれない。あるいは、もっとも効果的なタイミングで「カード」を切ろうとする、生まれつきの癖なのかもしれない。
熱いものを熱いまま受け取れない自分の癖も、いつか誰かに見抜かれる日が来るのかもしれない。
