転居の知らせ、見知らぬ土地へ
白霜の月・騎士の日――(現暦換算:二月十六日)
結局うやむやになったリードボーカル争奪戦が、なぜか第二ラウンドへと突入することになった。
「動画の投稿勝負をもう一度やって、今度こそ次の歌のリードボーカルを決めましょう」
リリスは、DoS攻撃まがいでアカウント停止処分を受けたことにめげずに、再戦を提案する。
「いや、もうあれはやめとけって」
ラムリーザは反対するが、リリスは余計な気を回さずに済む方法を考えていた。
「今度は、総再生回数が少ないほうが勝ちよ」
「ん、それならいいだろう」
ラムリーザは、このルールだと余計な気を回さなくていいと考えて、好きにやらせることにした。
つまらないほうが勝ち、というなんとも空しいルールだが、この二人にはお似合いだ。
しかし、魅力があればあるほど負けに近づくなんて、表現者として末期症状かもしれない。
ラムリーザは溜息をついた。リードボーカルの座を華々しく争う二人とは思えない低レベルな攻防だが、当のリリスの目は真剣だ。彼女のことだから、あえて砂嵐のような動画を投稿して「零回視聴」という完全勝利を狙いかねない。
ソニアも、より意味不明な動画を作ることになるだろう。
そんな不条理な戦いに、またしても自分が巻き込まれる未来を予感して、ラムリーザはそっと頭を振った。
この日ユコは、放課後に帰宅すると、めずらしく早く帰ってきていた父親に呼ばれて話を聞かされた。ユコの家族構成は、両親と彼女の三人だ。
「次の春から、新しい町での仕事に移ることになったのだ。というわけで、もう少ししたら家族全員で引越しになるから」
「え? 引越しですの? どこに?」
「町の名前か? 父さんも正式にはまだ知らされてなくてな。上が決めた現場に行くってだけだよ」
ユコにとっては寝耳に水の話だった。すぐに大事なことを尋ねる。
「学校はどうなるんですの?」
「そうだなぁ。これから開かれる新しい町の学校に通うことになるかな」
ユコの父親は、今日転勤の話を聞いたばかりだ。学校のことは、これから追々考えていけばいいと思っていた。
彼女の父親は、この地方の物流を担うシュバルツシルト鉄道に勤めている従業員である。主に町内の輸送を担当していた。
町の発展に伴って、輸送の担当者は増減する。そのため、この任務に就いている者は、何度か転勤する者も少なくない。
ユコの一家も、数年前にこの地方、つまりリリスの家の隣に越してきたばかりだ。
「嫌ですの! 折角……折角……」
ユコは反論する。だが、途中から言葉になっていなかった。頭の中では、これまで築き上げてきたこの地での「聖域」が、音を立てて崩壊していくような錯覚に陥っていた。
「父さんは、新しい町の運輸事業のまとめ役に抜擢されたんだよ」
「まあ、あなた。出世ですのね」
不服を言うユコとは違い、両親は少しばかり盛り上がっている。そりゃあ出世はうれしいだろう。しかしそこには、ユコが築き上げてきた放課後のたわいもない雑談や、誰かをからかって遊ぶといった「大切な日常」の居場所は、少しも用意されていなかった。
「お父様は、自分の出世のために私の交友関係を破壊するのですね?! 私は一人でもここに残りますの!」
「いやぁ、この家も引き払って、新しい町で新しい住居を構えることになるんだぞ」
「そんなの嫌ですの!」
「新しい家は、ここよりもっと大きいぞ」
「大きさなんて関係ありません! ああそうだわ、私は学校指定の寮、桃栗の里に入寮してでも残りますの!」
「困るなぁ……」
「ユコ、我儘を言うんじゃありません!」
両親としては、まだユコを傍においておきたかった。だから一人残すことは考えられなかったのだ。
だがユコは、この地を離れたくなかった。見知らぬ土地へ投げ出されるのも嫌だし、それ以上に……。
「とにかく私は反対ですの!」
ユコはそう言い捨てて、家から飛び出していった。
家から出たところで、たまたま外にいたリリスと鉢合わせした。
「あ、ユコ。ちょうどいいところに出てきたわ。これからちょっとエルム街に行かないかしら?」
「……そんな気分じゃありませんの!」
「そう……」
ユコはいつもならすぐにリリスと一緒に出掛けるのだが、今はそんな気分にはなれなかった。どうせ離れ離れになるのなら、もう親しくする必要もない。そんな無茶苦茶なことすら考えていた。
この街で一番長く時間を共にしてきたリリスにさえ、今の自分は「裏切り者」のように思えてしまう。去る者と残る者。その残酷な境界線が、二人の間に深く刻まれたような気がした。
ポッターズ・ブラフの静かな田舎道を歩きながら、ユコは自然と涙があふれ出てきた。
折角、気の合うパートナーができたのに。
尊敬できる人にも出会えたのに。
気軽にからかえる相手もできたのに。
ゲームセンターに行く時のボディガードまで――。
ユコは、自分の周りの人たちの顔を思い浮かべると、胸が締め付けられるような気がして、止まらない涙が頬を伝って落ちた。
「このまま野宿でもして、そこから学校に通おうかな」
無茶な考えすら、脳裏に浮かんだりしていた。そのまま、あてもなくさまよっていた。
その頃ラムリーザは、ソニアと一緒に夜の散歩へと出掛けていた。
ポッターズ・ブラフを流れる川の岸には桜が咲いていて、二人は庭だけでなく外の夜桜も眺めていた。
夜風はまだ少し冷たいが、どこか甘い花の香りを運んでくる。ライトアップされた桜は、昼間の可憐さとは打って変わって、どこか妖艶で、見る者の心をざわつかせるような美しさを放っていた。
これから始まる新生活への期待と、去りゆく冬への名残惜しさが、その花びら一枚一枚に宿っているようだった。
「ラム、あの動画を見たらダメだからね」
「お願いされても見ないよ」
ソニアは屋敷に帰るとすぐに、動画共有サイトにアカウントを作り直し、前回と同じ動画を挙げ直して放置していた。
ただし、動画のタイトルは違う。
『絶対に見てはいけない動画』
全然内容と関係のないタイトルをつけていたが、こんなタイトルだと気になって開いてしまう人もいるかもしれない。サムネイルも、黒地に赤文字で「見るな」の一言だから、なおさらだ。
しかしソニアには、そこまで気が回らず、ただ単純に見てもらいたくないために、安易な名前を付けたのだった。
「動画はどうでもいいや。それよりもほら、夜桜が綺麗だぞ」
ラムリーザは上を指差して、ソニアの注意を引いた。
「おいしいかな?」
「さくらんぼはおいしいけど、桜の花はどうだろう。……そうだ食べてみろ」
「嫌だ!」
「入れろ!」
「やんっ」
そんな話をしていた時、反対の方角から川岸を歩いてきたユコと鉢合わせした。
ラムリーザとソニアは、ユコと顔を見合わせた。
「やあ、奇遇だね」
「あっ、呪いの人形発見!」
ラムリーザの軽い挨拶と、ソニアの余計な一言に、ユコは無言のまま視線をそらしただけで、答えることはなかった。
ラムリーザは、そこでユコの目が赤くなっていることに気がついた。瞳は奇麗な緑色だが、その周囲は充血している。
「目が赤いよ、どうしたの?」
ユコは、慌てて目元をぬぐった。
少しの間、三人の周囲は黙ったままの時間が過ぎていった。
「ラムリーザ様、この春から屋敷でメイドとして雇って下さいまし」
沈黙は、ユコの唐突なお願い事で破られた。
「唐突すぎて何が何だかわからんぞ? というより、進路希望の時にそれはなしにしただろう? 作曲家の夢はどうしたんだい?」
「夢は壊れましたの」
ぼそっとつぶやいたユコの一言に、ラムリーザは何かただ事ではないことがユコの身に起きていると感じた。よく見ると、ユコの表情にはいつもの元気さがない。
その不安をぬぐうように、ラムリーザは「なぜだい?」と問いかけていた。
目の前のユコは、いつもの神秘的な雰囲気はなく、壊れかけた人形のような脆さをたたえていた。
いつもならラムリーザをからかう際に浮かべる、あの小悪魔のような笑みはどこにもない。ただ行き場を失った感情が、彼女の細い肩を激しく揺らしていた。
ソニアも、いつもと違うその雰囲気を感じ取ったのか、ラムリーザの後ろに隠れるように移動して、黙り込んでしまった。ソニアはソニアで妙に勘が良いところがあるし、真剣な場面では素直に身を引く、そういう良いところもあった。
ユコは少しの間黙っていたが、震える声を振り絞って、言葉を続けようとした。

「私、この春から……、この春から……」
だがユコは、それ以上言葉を続けることができなかった。ユコの両目から、涙がこぼれ落ちた。街灯の光を反射して、ユコの頬を伝う雫が真珠のように輝く。
「な、何だ? どうした?!」
ラムリーザは、ユコの突然の変化に驚いた。ソニアが泣くところは何度も見てきたが、ユコが泣くところを見るのは初めてだった。
ラムリーザのそんな心配をよそに、ユコはさっと身を翻すと、二人の傍から駆け去っていってしまった。
「ラム、追いかけなくていいの?」
ユコが駆け去っていく様子を眺めていたラムリーザは、ソニアの一言で我に返った。
ハッと気がつくと、既にユコは視界から消え去ってしまっていた。
「なんだろう、リリスと喧嘩でもしたのかな……」
「あたし、なんだかこんなジメジメしたの、嫌。ユコが困っているのなら助けてあげてよ」
いつも自分勝手で迷惑ばかりかけるソニアだが、人との和を大事にしている面もあった。ソニア自身は、いつも和に納まる範囲内でふざけているつもりなのだ。
例えばリリスに対しても、「根暗吸血鬼」呼ばわりは控えていた。彼女がそれを克服するまでは、口に出さなかったのだ。
「とにかく明日学校で話を聞いてみよう」
今日はもう夜も遅いし、ゆっくりと話を聞いてやることはできない。これから探して話をするとなると、どのくらい遅くなるかわからない。
そういうわけで、二人はひとまずユコのことを胸の隅に押しやって、夜桜を楽しむことにした。満開の桜の花が、川岸にセットされたライトに照らされて、不思議な光景を作り上げている。
「もう満開だね~。でも、すぐに散っちゃうのが残念だな」
ラムリーザはソニアの肩に手を回しながら言った。
「道路が汚くなるんだよね」
ソニアの返す言葉は、趣が全くない。まあ、言っていることは間違っていない。
ロマンチックな夜の散歩は、ソニアの「清掃員の苦労」を代弁するような一言で、実にあっけなく幕を閉じた。
二人の背後で、風に舞った桜の花びらが、川面に落ちては流されていく。それはまるで、先ほどの立ち去っていくユコの姿のようにも見えて、ラムリーザの胸の奥には、夜の空気よりも冷たいざらつきが残っていた。
「土台はユコにある」――バーベキューのときの自分の言葉が、今になって遅れて刺さってきた。
それでもラムリーザは、フォレストピアの公園にも桜の並木道を作ろうなどと考えながら、夜桜を十分に堪能した後に帰宅したのであった。
前の話へ/目次に戻る/次の話へ