百年寒波の後始末
氷紋の月・学匠の日――(現暦換算:一月二十八日)
エルドラード帝国を襲った異常気象、百年に一度と言われている大寒波。
その翌日、雪は止んでいたが、例年に比べてかなり冷え込んだ日が続いていた。
ラムリーザは、大寒波が新開地フォレストピアにどんな影響を及ぼしているか気になっていた。
しかし、午前中は雪が積もっていて、屋敷から外に出るのも難しかったので、どうすることもできなかった。
昼前から晴れて気温が上がり、昼過ぎには雪もある程度溶けていた。
ラムリーザは、リゲルに電話をかけ、フォレストピアに行ってみたいと伝えた。リゲルは、まだ蒸気機関車は動いていないが、車なら行けると言った。
そこでラムリーザは、屋敷の前で待ち合わせをして、リゲルがやってくるのを待つことにした。
「ソニア、ちょっとフォレストピアに行ってくるけど、どうする?」
ソニアは少しの間考えていたが、「寒すぎるから行かない」と答えた。
それならそれで別に構わない。今日は遊びに行くわけではないのだ。あくまで視察、ソニアが留守番をするというのなら、それでも別に構わない。
ちなみに寒すぎるというのはソニアの観点であり、この期に及んで際どいミニスカで素足のままをやめないのだから仕方がない。
ラムリーザが部屋から出て行こうとした時、ソニアに「待って」と呼び止められた。やはり行くのか?
「一人で行くの? リリスとか来るの?」
「いや、リゲルと行く。ロザリーンも来るかもしれないけど、リリスとユコの話はしていないな」
「ん、それならいい」
ソニアは短く答えると、ぬいぐるみ……ではなく、クッションのココちゃんを抱えてソファーで丸まった。
安心したのか、ソニアはココちゃんに深く顔を埋めた。
「……なるべく早く帰ってきて。寒い部屋で一人で待つの、嫌だから」
ラムリーザが、ぼそりと呟く彼女を見てから足元に目をやると、相変わらずの素足が寒そうに小さく震えている。
強情を張らずに靴下を履けばいいのにと思いつつ、そんな彼女の意地っ張りなところも、どこか冬の日だまりのように微笑ましく感じられた。
ラムリーザは、リゲルを待ちながら屋敷の周囲を回ってみた。
相変わらず寒いが、昨日のような耐えられないような寒さではない。雪は所々溶けていて、その下の地面は雨が降った後のようにぬかるんでいた。
見慣れた丸っこい車、ビートルがすぐに到着し、リゲルとロザリーンが降りてきた。
ラムリーザは、後部座席に乗り込む直前に自分の部屋の窓を見てみると、ソニアがじっとこちらを見つめていた。
ソニアはすぐに窓から姿を消し、来るのかな? と思って少し待ってみたが結局来なかった。恐らくリリスたちが来ているかどうか確認していて、ロザリーンだけだと分かったから出てこなかったのだろう。
「ソニアさんは来ないのですか?」
ロザリーンが尋ねてきたので、ラムリーザは「寒いから篭っているんだとさ」と答えておいた。
「山道は雪が残っているかもしれないから、慎重に行かないとな」
車は走り出し、ポッターズ・ブラフとフォレストピアを隔てているアンテロック山脈へと向かっていった。
雪の上だとタイヤが滑るので、慎重にということで、いつもよりゆっくりと進むようにしている。リゲルの話だと、今日家を出て出発した直後、初めて走る雪の上で滑ってしまい、危なかったのだそうだ。
道中ラムリーザは、リゲルに昨日のメールの件について尋ねてみた。それは、リゲルが唐突に送ってきたらしからぬ内容のやつだ。
「ところでリゲル、昨日のメールは誰宛に送ったメールなんだ?」
「忘れた」
短く答えたその言葉が、リゲルの語りたくないという雰囲気を十分に醸し出していた。だからラムリーザは、それ以上問い詰めるのはやめにした。気になって仕方がないのだが、リゲルが話したくないというのなら、無理に聞き出すのも悪いと考えたのだ。
幸い山道の雪もほとんど消えていて、移動に支障をきたすこともなく、数十分後、三人はフォレストピアに到着した。
フォレストピアの駅前にある倉庫の二階の会議室で話を聞いたとき、ラムリーザはその深刻さに驚いた。
食糧生産は、今年に入ってから寒い日が続いて調子が悪く、前日の大寒波で全滅まではいかないが、予定の収穫量を達成できる見込みが少なくなってしまっていたのだ。
加えて、寒さに弱い作物はほぼ全滅していた。
本来ならこの季節も温暖で、ここまで冷え込まない。だからこそ対策がなかった。

会議室の窓から外の農地を眺めると、本来なら収穫を待つばかりだったはずの作物が、黒くしおれて地面に張り付いていた。
「……予定していた冬の収穫は、ほぼ絶望的です」
担当者の力ない声が、暖房の効きが悪い部屋に冷たく響く。理想を掲げて始まった新都市開発が、自然の猛威という壁に突き当たった瞬間だった。
「まずいな……」
ラムリーザはつぶやいた。何か良い方法はないものか……。
帝都から食料を回してもらうことも考えたが、この分だと帝都もある程度被害を受けているかもしれない。
そうなると、住民を当初の予定から減らすという方法も考えられる。規模を縮小して、スローペースで進める方法もある。
しかし、これでは幸先が悪い。
失意のまま、駅前の倉庫から出たところで、ロザリーンが意見を述べた。
「よい考えがあります。ユライカナンから食料の足りない分を補ってもらえばどうでしょうか?」
「ユライカナンから?」
ラムリーザは、一瞬何のことか分からなかったが、よく考えてみるとそれは名案のような気がした。
「……それだ」
もともとフォレストピアは、ユライカナンとの異文化交流を目的として作られる町だ。その一環として、食文化も取り入れてみるのも悪くない。
それは単なる救援ではない。フォレストピアが「異国と混ざる町」になる、最初の一口だ。
しかし、大丈夫だろうか?
異国の食文化が、果たして口に合うだろうか?
「そうだな、口に合うか分からないが、事前にテストしてみたらよかろう」
次はリゲルの提案が役に立った。口に合うかはテストしてみればよい、簡単なことだ。
フォレストピアでの最初の仕事は、ユライカナンの食料を受け入れるための選別だった。ラムリーザ一人でテストすると、偏りが出てしまうかもしれないので、身内だけでも呼んでみんなでテストしてみたらよい。みんなでチェックして口に合いそうなら、民衆に回せばよい。
「さすがは知恵袋の二人だなぁ、僕にはすぐには思いつかなかったよ」
「うむ、さすがロザリーンだ。これがソニアだったら、何を食べさせられるかわかったものじゃない」
リゲルの一言に、ラムリーザは言い返すことができなかった。なんだっけ、ソニアの言っていた食べ物、たなからぼたもちだったっけ?
「帰ったら、ユライカナンにその旨を伝える文章を書いて送らないといけないな」
大寒波は想定外だったが、その代案が確立できたということで、とりあえず今回の課題は終了することになった。
願わくは、ユライカナンの食糧も、大寒波の影響を受けていないことを祈る。
「少し寄ってほしいところがあるんだ」
ラムリーザは、帰る前にリゲルに頼んだ。
次の春からラムリーザの住むことになっている屋敷はほぼ完成しているが、住むまでにはもうしばらく余裕があるので、拡張工事を依頼することにしたのだ。
フォレストピアの竜神殿を過ぎて、少し山に登ったところに屋敷はあった。
ラムリーザは、そこで建築の監修をしている現場監督に、二つの提案を持ち込んだ。
一つは、防寒対策。
今回の大寒波が、百年に一度あるかないかの異常気象だが、数年後にまたやってくる可能性もゼロではない。
そういうわけで、それに備えておくことにしたのだ。ひとまず大きな暖炉を作り、各部屋に暖かい空気を送ることができるようにするなど、いろいろ方法がある。
そしてもう一つは――。
「それぞれの個室に、鍵を設置してほしいんだ」
「鍵ですか?」
ラムリーザの提案が意外だったので、現場監督に聞き返される。
玄関や門に鍵をつけるのは普通だが、家の中の個室にまで鍵をつけるのはあまり聞かない。
「うん、鍵。何も考えなくていいから、とりあえず、付けてくれ」
現場監督は首をかしげながらも、図面にメモを走らせながら、ラムリーザの要望を聞き入れてくれた。
これは、今年の初日に、帝都の実家の自室でソニアといちゃいちゃしている時に閃いたことだった。
鍵さえかけていれば、ソニアと部屋でいちゃいちゃしていても、誰かが無遠慮に踏み込んでくるのだけは防げる。
なんとも馬鹿馬鹿しいことだが、最低限の手は打っておくに越したことはない。共同生活だと、距離感の取り方が難しい。だからこそ、個室には境界が必要だと思った。
キスだけなら大目に見てもらえると思うのだが、念のためにである。
背後でリゲルが、すべてを見透かしたような冷ややかな視線を送ってきている気がしたが、あえて振り返らなかった。
「これで終わりか?」
リゲルの車に戻ってきたところで、ラムリーザはそう聞かれた。
「とりあえずね。今回みたいなことが来年以降も起きたら困るので、防寒対策を施すよう言ってきた」
鍵の件は、詳しく聞かれたら答えるのがめんどくさいので、伏せておくことにした。
「昨日までが異常だったんだよ」
リゲルの言うことはもっともだ。今日は昼を過ぎてからはどんどん暖かくなっていき、今では平年通りの気温になっている気がする。
「メールも?」
「昨日までが異常だったんだよ」
さりげなく昨日のことをぶり返してみると、リゲルは同じ言葉で返してくる。
災い転じて福となすという言葉があるが、今回の出来事はそれに当てはまるかもしれない。
しかし異国の食事か、フォレストピアは最初から楽しませてくれる。みんなでいろいろと食べ比べしてみようじゃないか。
帰路につきながら、ラムリーザは一人、そう考えていた。
ただ、のんびり想像している場合でもない。あの寒い部屋で、ココちゃんを抱いて丸まっているソニアが待っている。