グリーン・フェアリーの取引地獄と加害届
氷紋の月・竜神の日――(現暦換算:一月二十日)
今日も、いつもの光景といつもの雑談が、教室の席で繰り広げられている。リリスの提供するネタも、尽きないものだ。
「おしんりんって知っているかしら?」
リリスの問いにソニアは「知らない」と答える。リリスが博識なのか、ソニアが世間の流行に疎いのかは分からない。
ただし、ラムリーザにもそれが何であるかは分からなかった。
「昨日、バラエティ番組で取り上げられたアイテムよ。ものすごく盛り上がってたわ」
「ああ、あれね、私も見ましたの。使った人がものすごく持てはやされていたけど、あれってそんなにいいものですの?」
ユコの問いに、リリスは「私にもわからない」と答えた。
「どこにつけるの?」
「お尻」
「馬鹿みたい」
ソニアは、少し興味を示したが、意味不明の流行にはついていけない、と言わんばかりに、手元の携帯型情報端末キュリオへと視線を戻した。
「一週間後に、おしんりんを付けた効果を公開するって言っていましたけど、あれに何か意味があるのかしら?」
ロザリーンの問いに、リリスは「知らない」と答えた。まったく身にもならない会話だ。
ラムリーザは、引っ付いてきているソニアに背を預け、会話を聞き流しながら窓の外の空を眺めていた。雲の形が風船みたいに見えるのは、気のせいだろうか……。
ちらっとリゲルのほうへ目をやると、彼はいつもなら雑誌を読んでいるところだが、今日は珍しく自分のキュリオの画面を覗き込んでいた。
「珍しいね」
ラムリーザの短い問いかけに、リゲルはちらっと視線だけ投げ返した。そしてそのまま何やら画面を操作している。
「よし、これで様子見だ。……さて、どう出るか」
リゲルはそれだけつぶやくと、キュリオを片付けて鞄から雑誌を取り出した。
「そういえば、生徒会長はユグドラシルさんに決まりそうだね」
「そりゃあそうだろうな」
話しかけるラムリーザに、リゲルは雑誌を広げながら答える。雑誌のタイトルには、「宇宙を破壊する真空崩壊」と書かれている。物騒な雑誌もあったものだ。
「まあ応援していた身としては、めでたしめでたしだけどね」
「大人ならともかく、学生の分際のガキが規律を重視するわけがない。ああいうのはお祭り男のほうが受けがいい。ああ、男に限らずお祭り女もな」
学生の分際のリゲルは、淡々と持論を展開する。
「お祭り女って、ソニアみたいなのを言うのかな?」
「あれは頭の中がお祭り状態なだけだ」
おおっと、とラムリーザは背後を気にする。だが、ソニアはキュリオの画面に集中しているようで、リゲルの台詞を聞いていないようだった。
「ケルムさんは規律に厳しすぎるよね」
ラムリーザは、急いで話題を別のものに転換させる。
「あれはあれでいい。いずれ人の上に立つような人は、規律に厳しいぐらいがちょうどいい。まぁ厳しすぎれば、民衆はそれだけ押さえ込まれたようになってしまうけどな」
「要するに、バランスというわけだね」
「ふえぇ……」
突然ラムリーザの背後で、よく聞くお馴染みの小さな悲鳴が上がった。
ラムリーザは、さっきのリゲルの一言が遅れて効果を発揮したのかと思ったが、ソニアはリゲルには関心を示さずに、キュリオの画面を覗き込んだまま固まっている。
「どうした?」
ラムリーザがソニアのほうへ振り返ると同時に、リゲルは雑誌を手に取り、ソニアに背中を向けるように身体を窓のほうへ向けて読み始めた。
ソニアは困ったようにラムリーザを見て、すぐにキュリオへ目を戻し、もう一度ラムリーザを見てから視線を伏せた。なんだかよくわからないが、酷く動揺しているみたいだ。
結局昼休みまでの午前中、ソニアはどこか上の空だった。
授業をちゃんと聞いていないのはいつものことだが、ぼんやりしているのではなくて、そわそわと落ち着きがない様子だった。
昼休み、ソニアはキュリオに何かを打ち込み、その後は多少は落ち着きを取り戻したようだった。
しかし昼休み終了間際に、キュリオの画面を見た後、再び「ふえぇ……」と漏らして動揺を隠せない感じになってしまった。
キュリオで、いったい何をしているのだろうか。
ラムリーザは考える。
ソニアは携帯型ゲーム機の転売をしている。売れなければ待つだけだし、売れたのであれば悲鳴は上げない。ひょっとしたら転売を咎められる警告でも来たのだろうか?
そこでラムリーザは、事情に詳しいリゲルに尋ねることにした。
「なぁリゲル、転売って何か問題あるのか?」
「ぶふっ」
ラムリーザが問いかけると、なぜかリゲルは吹き出したので、ラムリーザは首をかしげる。
「いや、なんでもない。確かに転売は、限定品などを自分は興味もないのに独占して、本当に欲しい人に高額で売りつけるような奴は非難される場合がある」
リゲルの言うケースには、ソニアは該当しない。ソニアは、まだ帝都以外では流通しきっていないものを、帝都に買いに行って地方で売っているだけだ。
それに、買い占め行為もやっていない。少し割高なのが嫌なら、自分で帝都に行って買う手もある。
そこは、リゲルの計らいで旅費を免除してもらえているソニアの強みだ。
ならば何が起きた?
ラムリーザは、再びキュリオを取り出して何かを打ち込んでいるリゲルに、再度尋ねた。
「ネトオクだっけ、そのルールに抵触しているってことはないかい?」
「ルールだと?」
リゲルは、なぜか笑いをかみ殺したような表情で答えた。
「ネトオクに転売を禁止するルールはない。……いや、品目によってはあるが、ゲーム機程度では運営に咎められることはない。くっくっくっ」
どこに笑う要素があるのかわからないが、とりあえずリゲルに聞いた話では、ソニアは非難されるようなことはやっていないことがわかった。
結局ソニアは、放課後までそわそわと落ち着かない様子は変わらなかった。
この日も部活は中止になった。
「もう、ネトオク勝負は終わりにしてほしいですの!」
全然遊べないユコは、不満の声を上げる。
「待って、明々後日の朝までに結果を出すことにするから」
リリスはそう言って、さっさと帰ってしまった。
リゲルとロザリーンは、他に天文部という趣味がある。リリスとソニアはネットトオークション勝負で忙しい。ラムリーザもソニアにつき合わされている。
割を食っているのはユコだけだ。
「もういいですの! またレフトールさんとゲームセンターに行きますの!」
そう言って、ユコはレフトールを探しに教室から出て行った。
下宿している屋敷に戻ってきてからも、ソニアは落ち着きがない。
「ラム~……これ、郵便局に出してきて……」
顔色の悪いソニアは、ラムリーザに箱を一つ差し出した。
「ん、今日は一つだけ売れたのか。もう一つはまだ売れていないんだね?」
「ふえぇ……」
なんだかよくわからない。
売れなかったからといって、そこまで落ち込む必要はないのではないかな?
「まぁいいじゃないか、売れ残ったとしても一つだから、まだ持ってないなら自分用にしたらいいじゃないか」
「うん……でも……」
とりあえず遅くなったら郵便局が閉まってしまうので、ラムリーザはソニアから渡された箱を持って出掛けることにした。
「いやぁ、最近冷え込むね、どうしたんだろうねぇ」
ラムリーザが郵便局から戻って来た時、ソニアはキュリオを片手に途方にくれた感じで座り込んでいた。
売れなかったからと言って、そこまで落ち込む必要はないはずだ。いや、リリスと勝負しているんだっけ? 明後日までだから、一エルドでも無駄にできないのだろう。
ソニアは、しばらくして何かを思いついたかのように、キュリオを使って打ち込むが、さらにしばらくしたら「ふえぇ……」である。いったい何をやっているのか?
「とりあえずそろそろ晩御飯の時間だ。食堂に行くよ」
「要らない……」
ソニアが食事を拒否するのはめずらしい。よっぽど何かが起きているに違いない。
「ダメだ、ご飯食べないと病気になるよ」
ぐずるソニアを引っ張って、ラムリーザは食堂へと向かっていった。
食事中もソニアは上の空で、いつもよりも食事に時間がかかってしまった。
「ラム……、加害届ってどうやって出したらいいの……?」
「はぁ?」
日も暮れた頃、特に他にやることもなくドラムの基礎練習をしていたラムリーザの元へ、青ざめた顔のソニアがやってきた。
被害届ならともかく、加害届とは一体何か? ラムリーザは初めて聞く言葉だった。
「とりあえずキュリオをよこしなさい」
ラムリーザは、まるで夢遊病者みたいに立ち尽くすソニアの手から、キュリオを奪い取る。ソニアは、抵抗せずにうなだれている。
ラムリーザはキュリオの画面を覗き込んだ。そこには、落札者とのやりとりが残されていた。
「なんだ、もう一つも売れているんじゃないか、なぜ発送しないんだ?」
「ふえぇ……」
妙にソニアの言動が解せぬ。
ラムリーザは、落札者とのやりとりを見直した。
「ぬ……?」
そこには、落札者が「本体のみを希望します」と書き込んでいた。
時間は、今日の朝九時頃だ。落札者は「海賊船長エルリグ」だって? 物騒な落札者だな。
だが出品者を見ると「グリーン・フェアリー」となっている。ハンドルネームみたいなものか。
確かリゲルの作戦では、手数料を抑えるために、本体と付属品に分けて本体を安く落札させて付属品込みで本来の価格で売る内容だった。
本体というのは、どの部分のことだろうか。
ソニアの扱っている2DOは、携帯ゲーム機。画面とコントローラーが一体化しているので、よく考えたら本体しかない。
つまり「安いほうだけ取る」落札者が出たということだろうか。
「待てよ、確かタッチペンが付いていたな。それが付属品ということなのかな」
しかし、それに続くソニアの回答に、ラムリーザは吹き出すことになってしまった。
――本体のみの場合は、フタ、ビス、外装パネル等を取ります。ボタンをペンチで引き抜けるならやります。見た目はひどくなると思いますが、記載通りクレームは受付けません。付属品希望の場合は、このようなことをしません――

「なんだこりゃ?」
ソニアも物騒なことを考えたものだ。
壊れたものを売りつけるのか? わざわざ新品のゲーム機を壊すのか?
次に落札者の「海賊船長エルリグ」は、今度は付属品の詳細を尋ねている。
その回答にも、ラムリーザは開いた口がふさがらなかった。
――本体を破壊した残骸と、充電器などの一般的な付属品ということになりますが、付属品購入の場合は「破壊行為」はしません――
「これは何?」
ラムリーザはソニアに尋ねたが、ソニアはうつむいたまま答えなかった。
取引掲示板では、昼過ぎ辺りで「エルドラードネット銀行に落札金額と送料合わせて五百エルドを振り込みました。確認でき次第、発送をお願いします」とあった。
ソニアの作った口座を確認すると、確かに入金されている。
「ええと、それじゃあゲーム機を壊すのか?」
ソニアは黙ったままだ。
ラムリーザは、さらにやり取りを確認する。
時間的に、学校から帰った後も、やり取りは続いていたようだ。
海賊船長エルリグは、「債務不履行」についても指摘している。品物を届けなかったことや、品物を壊してしまっては債務を履行できなくなるといったように、品物を引き渡したものの欠陥があったなどというケースを持ち出している。
「そりゃあ向こうの言い分が正しいよな。それじゃあ壊さずに本体を送ればいいじゃないか……って、結局のところ本体って何だよって話だよな」
リゲルの提案した作戦にも穴があったということだ。そういえば、欠点があると言っていたような気がする。めんどくさいことになったな、とラムリーザは思った。
その後も、ソニアと海賊船長エルリグの間で不毛なやりとり――主にソニアのごね――が続いていたが、一番最後のやり取りが、先ほどのソニアに通じていた。
――端的に「入金したが商品を送らない」という状態になっているのは事実ですので憲兵など公的機関に届けを出しますか? 「加害届」などというものがあるかはさておき、こちらは検討しています。そのほうが更にご安心いただけるでしょう――
そこで、先ほどソニアが発した「加害届」につながっていた。
さらに、ちょうどリアルタイムで、海賊船長エルリグからの連絡が届いた。
「ふえぇ……」
ラムリーザは思わず、そうつぶやいてしまった。
――速やかに本体を送付されることを願います――
落札者も強気だな。
ラムリーザは、そう思わずにはいられなかった。
しかし、落札者には落ち度はない。本体購入に向けた金額は支払っているし、ごねているのはソニアのほうだ。
「これは本体を送るしか……って、本体って何なんだよもう、ええと、落札者の住所は分かるんだな」
ラムリーザは、住所を確認してからソニアに言った。
「ソニア、明日この人のところに出向いて、事情を話して謝罪しよう。いや、これは謝罪案件なのか? まあいいや。幸い場所はアチェロン、二駅向こうで近い。それか、よくわかんないけどその本体とやらを今から発送するか、どっちにする?」
「……ラムに任せる」
ラムリーザは溜息を吐いて、携帯型情報端末キュリオをソニアに返した。
ややこしいことになった。
お金のやり取りは、数字だけでは終わらない。相手の時間と期待が、ぴたりと貼り付いてくる。ソニアは「勝負」のつもりで遊んでいたのに、相手は「取引」として受け取っている。
そして、そのズレが起きた瞬間から、軽い冗談は通じなくなる。だから次にするべきことは、たぶん一つしかない。
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