優等生も好きな人の前では大胆に
帝国暦九十二年 神帰の月・氷狼の日(現代暦:十二月下旬)
帝都シャングリラにある一流ナイトクラブ、シャングリラ・ナイト・フィーバーは、宿泊施設のホテルも兼ねている。帝都の繁華街の中心に位置し、帝都でも屈指の人が集まる場所だ。
そのホテルに泊まっていたリゲルとロザリーンは、館内のレストランで一緒に朝食を取っていた。
「勢いに任せて帝都滞在してみたものの、右も左もわからんのではどうしようもないな」
リゲルは、パンをちぎりながらぼやく。ロザリーンに付き合う形で来てみたものの、道案内もなしではどこに行くにも手探り状態だ。
「リゲルさんは、休日は何をしているのですか?」
「ゲーム……だとアレなので、海まで出かけて釣りとか、将来のことを考えて鉄道や運輸の仕事を見学したり、フォレストピアの計画について考えたり、あとは……ギターいじりだな」
リゲルは、ロザリーンの問いに対していろいろとやっていることをアピールしてみた。ゲームと言いかけて止めたのは、なぜかソニアの顔がちらついたからで、それ以外のことをいろいろと挙げてみたのだ。
「フォレストピア?」
「ああ、ロザリーンにはまだ話していなかったか。例の新開地、その街名を暫定的に決めたんだ。いや、暫定的だったか、決定したのだったかな?」
フォレストピアという名称は、まだラムリーザとリゲルとジャンの三人の間にしか浸透していなかった。それに、今の段階では街として機能していないので、この名前を使うにはまだ早いと考えていた。
「ああ、あそこですか。リゲルさんはいろいろ考えているのですね」
ロザリーンも察しが良く、新開地と聞いただけですぐにどこのことかわかったようだ。
「女性の意見も聞いてみようという話になっているので、次はロザリーンもどうだ? という話になっているぞ」
「わかりました。私でよければ、いろいろ協力しますよ」
話をしながらリゲルは思った。そういえば、ロザリーンと二人きりでじっくり会話をしたことはそんなになかったな、と。
学校では大概他の生徒がいるし、休日もそれほど二人で連れ立って出かけることはなかった。そういう意味では、ラムリーザと一緒に帝都へ行こうと言い出したリリスたちに感謝だ。
「ロザリーンは休日どうしてる?」
特にどこかへ行く当てもないリゲルは、しばらくロザリーンとの会話を楽しむことにした。
「そうねぇ、家にいるときはピアノの練習をしたり、オカリナを吹いたり。出かけるときは兄と一緒のことが多いですね」
「兄? ああ、ユグドラシルか」
こうしてみると、二人にはあまり接点がない。そこで朝食を終えると、今日は珍しく二人で出掛けることにした。二人きりのデートは、ひょっとしたら初めてだったかもしれない。これもまた、リリスたちに感謝だ。
シャングリラ・ナイト・フィーバーの建物から出た二人は、しばらく通りを並んで歩いていた。さすが帝都の繁華街の中心といったところか、賑わいはポッターズ・ブラフ最大の繁華街エルム街とは比較にならないほどだった。
どこに行こうか、何をしようかなどと話をしながら進むと、大きな映画館が目に入った。
「ふむ、映画か。そういえば新作が公開されたらしいな」
「今は何をやっているのかしら?」
「ああ、ヨンゲリアか。ちょうどいい、これは見ようと思っていたのだ」
リゲルは、情報誌でこの映画を知っていたが、地方のポッターズ・ブラフではまだ公開されていなかった。こういうものは、まず帝都で公開されて、それから徐々に地方へ流れていくものだ。
「ヨンゲリア? 何ですか?」
「ゾンビの出てくるホラーものだ」
リゲルの言葉を聞いて、ロザリーンは顔をしかめる。
「それはちょっと……」
ゾンビ物のゲームでは、一生懸命に謎解きや戦いをしたが、ゲームと映画は違う。ロザリーンは、どちらかと言えばグロが苦手だった。先日遊んだのはテーブルトークゲームで、視覚的にグロさが伝わりにくいのでプレイできたようなものだ。
「……ま、そうだよな。映画は明日にでも一人で行くか、ポッターズ・ブラフで公開したときに行ってもいいか」
「大丈夫です、我慢して見ますよ?」
「いや、いい……」
リゲルはロザリーンに無理強いすることは避けると同時に、この映画の前作を見に行ったときのことを思い出していた。あの映画は面白かった。だから、テーブルトークゲームのストーリーに拝借してみたのだった。
そこでリゲルは、ふっと遠い目をする。そういえば去年、映画館に行ったときは――。
「……いや、やめよう」
「何をですか?」
突然首を強く振って、自分に言い聞かせるように話したリゲルを、ロザリーンは何か考えるような表情で見つめた。
「なんでもない……。ん? あれはプラネタリウムじゃないか?」
「スター・クラブ? 帝国で一番大きなプラネタリウムって話の場所ね」
二人とも天文部ということもあり、興味が一致して早速入ることにした。
スター・クラブの天井には、いろいろな星座が映し出されている。
「星はいい。揺らぎもしなければ、逃げもしない。定位置で淡々と瞬き続け、俺たちが道を踏み外さないよう、その瞳を離さずにいてくれる」
「そうですね。果てしない星の海に比べたら、私たちは塵のような存在ね。だからこそ、今こうして触れ合っているぬくもりが、何よりも確かな奇跡に思えるの」
ドーム内に投影された無数の光が、ロザリーンの瞳の中で静かに踊っている。
リゲルはその横顔を見つめながら、普段は意識しない彼女の吐息の白さや微かな香りに、胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。
「……星は逃げないが、地上のものは移ろいやすいな」
ポツリとこぼしたリゲルの左手に、温かな重みが重なる。握り返された彼女の指先は少しだけ震えていて、その「生身の勇気」が、遠い銀河の輝きよりもずっと強く、リゲルの心を揺さぶった。
ロマンチックなのか、神秘的なのか、そんなやり取りをしたあと、リゲルは星に満ちたドームの天井を指差して言った。
「あれは、アリワリア座か。俺はあの星座の一等星のオアイーブが好みだったりする」
「私はキンボスポンディルス座のペネロープですね。あの燃えるような赤さがたまりません」
などと話をしながら、星空の好きな二人はしばらくの間、至福の時間を過ごしていた。
二人は午前中をプラネタリウムで過ごし、昼食をとった後は、繁華街から少し離れたところへ向かっていった。その先にはちょっとした公園があり、そこでひと休みをすることにした。
公園にはいくつかの遊具、それと蒸気機関車が展示されていた。
「ここでしばらくゆっくりしよう」
二人は、ベンチに並んで腰を下ろし、公園の中で一番目立つ蒸気機関車を眺めた。
「あの蒸気機関車、ソニアさんは好きそうですね」
「ああそうだな。あいつは、ああいう場所に登ってはしゃぐのが好きそうだ」
実際のところ、夏季休暇に帰省したとき、ソニアはその蒸気機関車に登って降りられなくなったことがあった。
リゲルはそう言うと同時に、もう一人のあいつの顔がちらつき、あいつも好きそうだなと思い、視線がふっと過去へ滑った。
「ソニアさんとラムリーザさんみたいなこと、してみない?」
ロザリーンは、そう言ってリゲルのほうへと近づく。リゲルは、「ん?」と言っただけで、ロザリーンの意図をすぐにはつかめなかった。
「何をするのだ?」
「いつものラムリーザさんたちを見ていなかったのですか?」
そこでリゲルは、ロザリーンの言うことを理解できた。まぁこのぐらいは問題ないかと考え、ロザリーンの肩に手を回して抱き寄せた。顔と顔が近寄り、ロザリーンはくすっと笑った。
「あいつら、いつもこんな感じだったな」
ロザリーンは少し何かを考え、リゲルの瞳をじっと見据えて言った。
「もうちょっと、あの二人みたいなことをやってみようかしら」
そう言って、ロザリーンはそっとリゲルのほうに手を回した。
「おいおい……」
「ほら、ラムリーザさんとソニアさんみたいに。大丈夫、今この公園に他の人は誰もいません」
リゲルは周囲を見回して、本当に誰もいないことを確認すると、そっとロザリーンに顔を近づけた――。

帝都旅行は、二人の度胸を少し大きくしているようだ。二人にとっては文化祭のダンス以来で二度目だが、今度は青空の下でのキスとなった。
「うふふ、ラムリーザさんの言っていた通り、清い交際は崩壊してしまいましたね」
ロザリーンは、普段の優等生ぶりからは想像できないおちゃめな表情をして、リゲルに向かってぺろりと舌を出してみせる。
「大丈夫、ここまでならまだ十分あり得る。あいつらみたいに、どこでもお構いなしにチュウチュウドラマをやることはない」
「チュウチュウドラマって何でしょう?」
「言わせるのか……。最近テレビで放送されたドラマのことを、そう揶揄している連中が多いのだ。やたらとキスシーンが出てくるからな」
「ああ、一日の出来事が一話分になっている、あの連続ドラマですね」
「――それはそうとして、とにかく昼間の公園でやるものではない。さすがにあいつらも、真昼間からやることはないだろうしな」
実際、あの二人はやっている。実家の裏庭、学校の裏山で真昼間から。そもそも、学校の裏山は、今ではそういったスポットになっていることは、一部の学生たちには周知の事実である。
リゲルは、ロザリーンとのやり取りを思い、そういえばあいつとはそういうことはまったくなかったな、と思った。
「それはそうと、リゲルさんって時々遠い目をするのね。そしてそのときはすごく寂しそう」
ロザリーンは、リゲルを見ていて時々感じていたことを言ってみた。今日もリゲルは、ふとした瞬間に何かを思い出すかのような、遠い目をする。
「――気にするな、昔のことだ。俺もいつまでも過去を引きずっていないで、未来を見据えないとダメなのはわかっている」
「それじゃあ、昔のことを忘れさせてあげる」
ロザリーンは、リゲルの頬を両手で挟んで顔を近づけ、再びそっと口付けをした。
「ロザリーンも大胆だな」
リゲルは、苦笑しながらつぶやいた。つぶやきながらも、確かにこれは過去を忘れさせてくれると感じていた。
「好きな人の前では、大胆になれるものなのよ」
相変わらずロザリーンは、お茶目な表情を見せている。
「まぁ何ていうか、俺たちは学校では優等生で通っている。優等生は、他人の模範となるべきだ」
一方リゲルは、これまた相変わらず堅いことを言って冷めている、というより冷静でいる。こういった所が、ソニアなどに「氷柱」と呼ばれる所以なのだが。
「ここは学校ではありません」
それに対してロザリーンは、正論でリゲルの心を溶かそうとする。リゲルもロザリーンの心意気を受け入れ、表情を少し和らげた。
「まぁ、別に俺は模範になろうとは思っていないからな」
そして、本日三度目の口づけは――言葉より短く、言葉より確かだった。
誰かの模範であること。過去を悔いること。
そんな重たさをひとまず脇に置いて、リゲルはただ、自分を信じてくれるロザリーンの温もりを受け入れた。
二人は互いの歩幅を測りながら、測りきれないものを抱えたまま、それでも並んでいく。
帝都の空は騒がしく、星は遠い。けれど、その日ベンチに残った体温だけは、確かに二人のものだった。
