桟橋で聞いた昔話
紅炉の月・精霊の日――(現暦換算:八月二十二日)
朝、ラムリーザが目覚めたとき、右脇で眠っているソニアを見て、いつも通りだなと思った。だが、天井がいつもと違うことにすぐに気がついた。
「あ、そういえばキャンプに来てたんだっけ」
ここはクリスタルレイク脇のコテージ、リゲルの別荘だ。夏休みということで、「ラムリーズ」のメンバーでキャンプに来ているのだった。
ラムリーザは、すでに起きて身支度をしているリゲルと目が合って、「あ、おはよ」と言った。
リゲルは、チラッとソニアを見て、再びラムリーザに視線を戻して「おう」と短く答えた。やはりソニアがいるのが気に入らないようだ。
ラムリーザはソニアを起こすと、女の子たちの部屋に戻るように促した。一緒に寝るのは良いが、それをおおっぴらに宣言するつもりはなかった。もっともリリスやユコには、自動車教習合宿の時に感づかれていたのだが。
こうして、キャンプ二日目を迎えることになった。
ロザリーンの作ってくれた朝食を取り、それから今日も湖で遊ぶことになった。
朝食は、スイカと卵とチーズを使ったマキアベリ的なタマゴだった。夏の朝食と言えばこれといった感じで、ラムリーザたちは満足していた。
「こういったのまで作れるなんて、ロザリーンはすごいね」
ラムリーザに持ち上げられたロザリーンは、「簡単なほうですよ」と謙遜するが、その表情は嬉しそうだ。
「マキアベリ的って、どうマキアベリなのよ……」
リリスがツッコミを入れるが、ロザリーンは「知りませんよ。でも美味しいから良いのです」とだけ答えた。ひょっとしたらロザリーンの独自料理なのかもしれない。
さて、女の子たち四人は今日はすぐに湖には入らず、湖岸に集まって輪になり、なにやら雑談している。リゲルは釣りの準備をしていて、ラムリーザは倉庫から見つけてきたゴムマリを握りながら、水辺の砂地に寝転がっていた。
「そういえば、新しい楽譜が完成していたのを忘れてましたわ」
ユコはいつの間にか楽譜を作っていたようだ。暇なときは楽譜を作成しているので、こうして唐突に完成品を持ってくることがあるのだ。
「エロゲソングじゃないでしょうね?」
「違います! というか、エロゲソングでも歌ってもらいます!」
リリスの問いに、ユコは憤慨した感じで答えた。
「ふむ、これは――」リリスは腕を組んで頷きながら続けた。「――ボーカル争奪戦ね」
ソニアの顔に緊張が走った。ここのところ負け続けているので、今回はなんとしても勝ちたいらしい。
「ねぇ! 湖の向こうまで泳いで帰ってくるの。速かったほうを勝ちにしようよ」
「ん~、しんどいわ」
リリスはソニアの提案を退けて考える。ソニアに負けない戦い、確実に勝てるという保証はなくても、圧倒的に有利となる勝負方法を、じっくりと考えていた。
こういった戦いでは、ソニアとリリスが争い、ユコとロザリーンはジャッジするという立場となっている。決めることは勝負内容だけだ。
リリスは、ソニアの身体を上から下までじっと見つめていた。やがて視線は、ある一点でぴたりと止まった。二人はほぼ同じ体格だが、一点だけ全然違うところがある。そこに注目していた。
そして何か思いついたように、ポンと手を鳴らすと、何かを探すためかコテージの裏に消えていった。
リリスが戻ってきた時、その手には三本の棒が握られていた。
「何? 棒で叩き合うの? いいよ、あたしの返し突きや亀の甲羅割りを見せてあげる」
だが、リリスの持ってきたものは、棒だけではなかった。もう一度コテージの裏に消えると、今度は壺を二つ持ってきた。
「そんな野蛮なことはやらないわ。棒くぐりをやりましょう」
そう言いながら、リリスは持ってきた棒を紐で縛ってゲートのようなものを作り、棒の端を壺に入れて立たせた。
「こうしておくと、棒に当たったら壺が転がって倒れるからね。棒を倒さずにくぐれたらクリア。棒を倒したら負けよ。これで勝負しましょう」
ユコがしゃがんでくぐり、ソニアもそれに倣った。
「簡単だね」
「いやいやいや、そうじゃなくて」
リリスは二人を下がらせると、立ったまま身体を反らせて上を向いて正面からくぐっていった。
「あ、それはどこかの国のお祭りでしたね。西国トリニダードでしたっけ?」
ロザリーンは何か知っているようで、自分も同じようにくぐっていった。
「これは、身体の高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変にバランスをとってくぐらないとダメですわね」
ユコは、少しもたもたしながらくぐっていった。このメンバーの中では、ユコが一番運動神経が鈍い。
「ソニアはどうかしら? 身体が硬いとできないわよ」
リリスはくすっと笑ってソニアをいつものように挑発する。
「硬くなんかないもん」
ソニアは、ぐっと身体を反らすと、そのままピタリと高さを維持できた。どうやら高度な柔軟性は維持できるようだ。
そのまま前に進んでいって、棒の下をくぐることができた。臨機応変にバランスを取ることもできるようだ。
「へー、おもしろいね。これでどうするの?」
「少しずつ棒を低くするの。だんだん難しくなるのよ」
「いいわ、それで勝負よ!」
こうして、ソニアとリリスは、異国の祭りで勝負することになったのである。ボーカル争奪戦がここに始まった。
「よし、準備ができた。行こうか」
リゲルは、釣り道具一式を抱えて桟橋へ向かっていった。
ラムリーザもその後を追おうとしたが、ふと思い、棒くぐりではしゃいでいる彼女たちのほうを振り向いて言った。
「くれぐれも、喧嘩せず、いじわるせず、仲良くな、いいな」と、そうしっかりと言って聞かせる。
試験明けに海へ遊びに行ったとき、ソニアが泣き叫ぶ事件が発生した。またそうならないように、念を押したつもりだった。
ラムリーザとリゲルの二人は、湖の桟橋で釣りを始めた。
桟橋に停めてある小型のボートで湖の沖に出てもよかったが、桟橋付近も良い釣りスポットになっているらしく、今日はそこで釣りをすることにしたのだ。
うまく釣ることができたら、またリゲルが調理してくれるだろう。
二人はしばらくの間、夢中になって無言で竿を振っていた。
「なあ、ラムリーザ」
「んあ?」
まったりし始めたときに、突然リゲルが話しかけたので、ラムリーザは変な返事をしてしまった。
「なあラムリーザ。お前、ソニアを甘やかしすぎだぞ」
「そうかな?」
ラムリーザは否定してみせたが、すぐに昨夜のことを言っているのだということに気がついた。
「昨夜のことなら気にしなくていいよ。もう毎日のことだから」
「あいつは一人で眠れるのか?」
「わからん。でもソニアが一緒に寝たいと言うのなら、そうしてあげるよ」
「それが甘やかしているというんだがな」
リゲルは多少いらついている感じだ。だがそれも仕方ないかもしれない。昨夜は男部屋に女を連れ込んだようなものだったから。
ラムリーザは、確かにこれは問題があると考え、行動を改めることにしようと思った。
「リゲルが不機嫌になるなら、今夜はソニアが来ても追い返すようにするよ」
リゲルは少しの間黙っていたが、今度は急に正反対のことを言い出した。
「いやダメだ。それであいつが幸せに感じているのならそうしてやれ。俺みたいになってからだと遅いからな……」
俺みたい。その言葉にラムリーザは昨夜リゲルが言いかけたことを思い出していた。
「それって、去年まで付き合ってた娘のことが関係しているのか?」
ラムリーザは、釣竿の先から目を離してリゲルのほうを見た。リゲルは、じっと釣竿の先を見つめたままだ。
「そういうことになるんだろうな。今のお前とあいつを見ていたら、辛くなるぐらいだ。あいつと似たような感じだった」
「想像つかないな……」
ラムリーザの中では、リゲルはクールで冷静、悪く言えば冷たいイメージだ。それが、ソニアのように、天真爛漫で明るく賑やかな娘と仲良くしている姿が想像できなかった。実際にこれまでも、ソニアが騒ぐたびに嫌そうにしているのだったし。
逆に、リゲルにはロザリーンのような真面目なタイプとの、今のラムリーザが自重することで維持しているようなプラトニックな関係のほうが、よく似合っている気がしていた。

だからラムリーザは、自分の中のイメージでは、リゲルの言っているミーシャという娘は、大人びていて落ち着きがあって、雰囲気にも気高さと品がある姿が浮かび上がるのだ。
「それで、その娘はどうしちゃったの? 今いないってことは、別れちゃった?」
別れる。自分で言っておきながら、その言葉にラムリーザは、実家に帰省した時の事件を思い出して、少し嫌な気分になったが、ひょっとして失恋でリゲルの性格が変わってしまい、今のようになったのでは? と思った。
「俺の家柄は、お前ほどではないがこの地方では名家と言える。だがあいつはただの庶民だった。今のお前の女みたいにな」
「似たような境遇か。そういう関係だったら、こっちが手を引いてやらないと、向こうは何もできないんだぞ」
だからこの春、ラムリーザはこれまでの関係を一歩進めて、連れて来たのだ。何も手を打たなければ、二人の関係はそこで終わりになっていただろう。
「わかってる。だが親が認めなかった……」
リゲルは、視線を釣竿の先から空へと上げて、歯ぎしりした。
「親に無理やりとか言ってたアレ?」
ラムリーザは、昨夜ソニアが部屋に入ってくる直前、確か無理やりとか言っていたような気がした。
「……釣り合わないとか勝手な理由で、俺らの交際を否定してきやがった。むろん、俺はそんなの無視して付き合っていたんだがな。そうしたら親の奴ら、強硬手段に出やがった。あいつの親を帝都に飛ばしたんだ」
「えー、そんなことできるん? やりすぎというか、そこまでの権力が?」
「ある。あいつの親は、うちの鉄道関係の所員だった。一応帝都に栄転という形にしていたが、俺には分かる。俺とその娘を離れ離れにするのが目的だ」
なんてことだ。
ソニアが昨晩怪談で話した、怪談というより自爆悲劇ストーリーは、リゲルの人生をそのまま語っていたようなものだった。あの時リゲルが不機嫌だったのは、このためだったのか。
リゲルは、もう諦めた感じで、投げやりな口調で話を続けた。
「だから平民はダメなのだ。住む世界が違う……そう思うようになってしまった。もう俺は、親が決めた相手なら誰でもいい。そうだな、あいつ以外しか認められないというのなら、ぶっちゃけもう相手は誰でもよいと考えている」
そのリゲルの考えは、ラムリーザにも痛いほどわかった。ソニア以外としかダメならば、もう誰でもいい。ラムリーザ自身もそう考えているのだから。
「だから、お前があいつと仲良くしているのを見ると、昔の自分を見ているようで辛い。あいつが幸せそうにしているのを見ると、俺も彼女を幸せにできたはずなのに、と考えてしまうのだ」
「すまん……、というのも妙だな……」
「気にするな。つまり、俺がミーシャに与えてやれなかった幸せを、ソニアはお前から受けている。そんなソニアを見て、勝手にむかついているだけだ――っ」
リゲルはそこまで語った時、おもむろに竿を持ち上げた。その先には、大きな淡水魚が引っかかっている。
「おっ、すごい。さすが釣りマスター」
「これは刺身にしてもいいが、この季節だし念のため火を通すか。また焚き火をしてもらわんとな」
ラムリーザは、魚が釣れてリゲルが生き生きしているのを見て、少しは安心した。
もちろん、その別れさせられた娘は可哀相だが、そこに家が絡んできたのなら仕方がない。
でも、リゲルもずっと過去を引きずっているのもあまりよくないと考えた。
だから、ラムリーザはそれとなく提案してみた。
「なぁ、ロザリーンならいいんじゃないか? 首長の娘だし、今もよく一緒にいて仲良さそうにしているじゃないか」
「いつも一緒にいるだけだ」
「それも理由になるよ。僕もこれまで十五年間、ソニアと一緒にいるだけだった。それをこの春に、一歩、二歩と関係を進めてきたんだよ」
「一歩目が連れてくるための告白で、二歩目が肉体関係か?」
「肉体関係はまだない。とにかく昔のことは忘れて未来を見ようよ。ロザリーンと付き合うなら、いろいろと手伝うよ。それに――」
「それに?」
「――ぼんやりしていたら、ロザリーンもラムズハーレムに加わるぞ」
ラムリーザは、冗談も交えてリゲルを励ましてみた。
「よせよ!」
怒ったように言い返す辺り、ロザリーンを多少は意識しているということだろう。
リゲルとロザリーンを結びつける方法、ラムリーザに手はないわけではなかった。親同士を知り合わせて仲良くさせればいい。その機会は、月初のパーティでいくらでも作り出せそうだ。
その時、岸のほうでソニアの泣き叫ぶような大声が聞こえた。また何かが起きたな……。
そろそろ平和な時間は終わりを告げそうなので、ラムリーザは最後の質問をしてみた。
「その帝都に行った娘って誰? 僕は帝都に住んでいたから、ひょっとしたら知っている娘かもしれない」
リゲルは少しためらいがちに口を開いた。あまり話したくないが、ラムリーザになら話しても良いと考えたのだろうか。
「ミーシャ……。ミーシャ・カッシーニ」
そういえば、以前リゲルの口から「ミーシャ」という名前が何度かポロリと出たような気もする。
「ミーシャ、うーん、会ったことないな。カッシーニ家、だめだ、記憶にない。何か特徴とかあったりする?」
「特徴か……。俺のことが忘れられなければ、今でもレンズの首飾りを付けているはずだ」
「レンズの首飾り?」
「このモノクルは元々普通のメガネだった。別れる時に、半分にして片割れをアクセサリーにして渡したんだ」
リゲルの付けている珍しいモノクルには、そういった秘話が隠されていたのか。だがしかし、ラムリーザにはレンズの首飾りを付けた娘に心当たりはなかった。
「それにしてもミーシャか。だからミーナという名前にびっくりしたんだね」
ラムリーザの知り合いには、ミーシャという娘はいなかったが、去年までリゲルと一緒にいたということは、入れ違いになった可能性もありそうだ。
「もうよい、ほら、あいつが来たぞ」
「え?」
ラムリーザが岸のほうを振り返ると、楽しそうに棒くぐりゲームをやっていたはずのソニアが、泣きながら桟橋のほうに駆けてきているのが目に入った。またこのパターンか……。
リゲルの口からようやく聞けた昔話は、思った以上に重くて苦いものだった。
それでも今、湖の向こうでは誰かが泣いて、誰かが笑っている。
――ミーシャのことも、ソニアのことも。うまく笑わせられる自分でいたいな、とぼんやり考えながら、ラムリーザは釣り竿を置いて立ち上がった。
前の話へ/目次に戻る/次の話へ