兄の婚約者ラキア来訪、そしてソニアは今日も平常運転
炎心の月・旅人の日――(現暦換算:八月九日)
「おはよう」「おはよう」
いつも通りの朝だ。
昨日は、二人がこの先どうなってしまうのかと思うくらいの、すれ違いの一日だったが、今日は何事もなかったかのように、一緒に朝を迎えることができたのだ。
「ソニア……」
ラムリーザは身体を起こすと、ソニアの目をじっと見つめて言った。
ソニアはその瞬間、昨日のことを思い出して身構える。ラムリーザの目つきが、昨日別れ話を切り出した時と同じだ。
つまり、冗談を言う前触れなのだが、ソニアは動揺してしまってそれに気がつかない。
「……別れない」
ラムリーザは、そう言ってわざと視線を下げる。よく聞き取らないと、本気で別れ話を切り出したようにも聞こえる言い方だ。
「そ、そんな、どうして! 昨日約束したのに!」
「えっ? そんな約束してないよ。誰が『別れない』って言わないって約束した?」
「酷いよ! 別れないなんて酷いよ!」
ラムリーザは、ソニアが必死な様子に笑いをこらえながら、ずっと同じトーンで淡々としゃべり続けてみた。これは一体何の茶番劇だろう、と思いながら。
「そうか? 別れないのは酷いか?」
「もう嫌! こんなの嫌! あたしもラムと別れないことにする!……って、あれ?」
「あれ?」
そこでようやくソニアは、ラムリーザが『別れよう』ではなくて、『別れない』と言っていることに気がついた。ラムリーザに担がれただけなのだった。
ソニアは顔を真っ赤にして怒り出した。枕をつかんでラムリーザに叩きつけようとする。ひょいと身を翻して避けると、素早くベッドから飛び降りた。
「逃げるなっ!」
ソニアはそう叫ぶと、今度は枕を投げつけてくるが、ラムリーザは身体をCの字に曲げて身をかわす。
「おっと危ない、ロケットおっぱいが飛んできた」
「ラム!」
「撤退!」
ラムリーザはソニアを一通りからかうと、そのまま部屋の外に飛び出していった。
ソニアはあとを追おうとしたが、すぐに大きな胸を抱えて立ち止まってしまった。寝るときはノーブラだったため、起き上がって行動するには、その大きな胸が激しく揺れて痛くて邪魔だった。
部屋から出たラムリーザは、そこで妹のソフィリータと鉢合わせした。
「あっ、リザ兄様おはようございます」
「おう、おはよう。ちょっとそこに立ってて、追撃を食い止めてくれ」
「追撃?」
ソフィリータはきょとんとした顔で首を傾げるが、ラムリーザはそんな妹をその場に残して、食堂へと駆けていった。
部屋の中から飛んできた枕が、入り口のそばに立っていたソフィリータにぶつかった。
ラムリーザが食堂に入ると、そこには既に母のソフィアと兄のラムリアースが席に着いていた。メイドのナンシーも、ソフィアの側に控えている。
「お、ラムリーザか。どうした? そんなに慌てて寝衣のまま駆け込んできて」
「いやぁ、ソニアに『別れない』と言ったら、すごく怒り出してロケットおっぱい飛ばしてきたよ。まいったねこりゃ」
「なんだそりゃ……」
ラムリアースは怪訝な顔をしてラムリーザを見ていたが、すぐに何かを思い出したように普段の表情に戻って言った。
「それはそうと、今日俺の婚約者が屋敷に来るから挨拶していけよ」
「お義姉さんが来るんだね」
「その呼び方はまだ早いけどな」
ラムリーザがラムリアースと話をしていると、そこにソニアが飛び込んできた。寝衣のまま――ただ、寝ていた時との違いはブラを付けていることだけだったが。その手には、大きな枕を抱えている。
「ラームッ! ここで会ったが百年目!」
「えっ? 百?」
ラムリーザは、思わずソニアの大きな胸に目をやってしまった。その視線の移動にソニアはますます頭に血が上り、ラムリーザに向かって勢いよく突進してきた。
「二度と、二度と『別れない』なんて言えないようにしてやる!」
「いや、それおかしくない?」
ラムリーザはソニアの突進をかわしながら、どうやってこの騒ぎに収拾をつけるか考えていた。
「それと! 二度とロケット――」
「騒々しい、やめなさい!」
ソフィアは厳しく言い放ち、ソニアの母であるメイドのナンシーがソニアを後ろから捕まえて頭を叩いた。「だってぇ」と言いながら、ソニアはナンシーの腕の中でじたばたともがく。だが、がっちりと捕まえられていて、その腕を振りほどくことはできない。
「だって、ラムがあたしのことロケットおっぱいって言った!」
「なるほど、それは的確な表現だな」
ラムリアースは、腕を組んでうんうんと頷いた。
「ラム兄!」
「おおっと!」
「静かにしなさい!」
再び母に頭を叩かれるソニアであった。
なにはともあれ、ようやくいつもの雰囲気が戻ってきた。やはりソニアは、明るく笑って騒いでいるほうがずっと可愛い。
朝食が終わって、ラムリーザとソニアは二人ともラムリーザの部屋に戻っていった。平常運転に戻った二人は、お互いに食事が終わるまで食卓を離れずに待って、二人揃って退席したのだ。
部屋でしばらくのんびりしていると、ソフィリータがやってきた。使用人と違って、ノックしてすぐに遠慮なく部屋に入ってくる。
こういうことがあるから、ポッターズ・ブラフの下宿先と違って迂闊にいちゃいちゃなどできないのだ。
いや、そんなことはどうでもいい。確か清い交際していることになってたんだっけね。いちゃいちゃぐらいは許容範囲なはずだ。
「リアス兄様の婚約者が来たみたいですよ」
「そっか、そんなこと言ってたな。挨拶しておかなくちゃ、行くぞソニア」
「う、うん」
ラムリーザはソフィリータの後を追って部屋から出て行こうとしたが、なぜかソニアは不安げな表情を浮かべてぐずぐずしている。
「何だ、その顔は? 僕が目移りするんじゃないかってまた不安になっているのか?」
「そ、そんなことないよぉ」
ソニアは慌てて立ち上がり、ラムリーザのそばにおそるおそる近づいた。
「全く……、誰が兄の婚約者を奪うようなことするんだよ。ほら行くぞ、お行儀よくしてるんだぞ」
ラムリーザは、ソニアの腕を掴むと、そのまま引っ張るようにして玄関ホールに連れて行った。
ラムリーザたちが玄関ホールに着くと、そこにはソフィアとラムリアース、そして初めて見る女性と、数人のおそらく従者であろう者が揃っていた。
「紹介しよう、帝国近衛騎士団長の娘のラキアだ」
ラムリアースの紹介で、一人の女性がラムリーザたちの前に歩み出てお辞儀した。
「ラキア・ペルモドフです」
ラキアと名乗った女性は、すらりと背が高く、燃えるような赤い髪、キリッとした力強い目が特徴の人だった。騎士団長の娘だけあって、堂々としている。それに、無駄のないスレンダーな身体が美しい。
その時、突然ソニアは「勝った」と呟いた。静かなホールだったので、その声はその場の全員の耳に届いたのだ。
ラムリーザとソニア以外のそこにいたみんなは、「えっ?」と言ってソニアのほうに注目した。
「(おっぱいか……)」
ラムリーザだけは瞬時に判断できた。心の中でそう呟いて軽くため息をついた。
ああ、もう一度説明しよう。ラキアは無駄のないスレンダーな身体が美しい。無駄のないスレンダーな。無駄のない……。

ソニアは得意げな表情になり、ラキアの正面に一歩進んで胸を張り「ソニアです、よろしく!」と力強く挨拶した。
その時、ソニアの胸にある大きなスイカは、その先端がラキアの胸に触れるぐらいに近づいて……というより、明らかにソニアはわざとらしく押し付けるようにしていた。
「そんなに誇らんでも――って、ああ、なんでもないなんでもない」
ラムリーザは思わず声に出してしまい、慌てて誤魔化した。
微妙な空気が流れたが、ラキアの「ソニアさんですね、よろしく」という澄んだ声でその空気は吹き飛んでいた。ラキアは、一歩下がってお辞儀をする。
ラキアは、ラムリアースのほうを振り返って「妹さん?」と尋ねた。
「いや、兄弟はそっちのラムリーザとソフィリータだ」
「えっ? この方は?」
「執事とメイドの娘」
「使用人ですか……」
「ちょっと違うけど、まあいいか」
ラムリアースはそう言うと、ソニアのほうに近づき、耳元で呟いた。
「これが、ラムリーザを信じろと言った意味だ」
「意味?」
ソニアが聞き返すと、ラムリアースはソニアをラムリーザたちから少し離れた位置に移動させて、言葉を続けた。
「俺はラキアが一番だ。だからソニアのことは二番目以降にしか見てやれない。お前はお前を一番に思ってくれる人を信じろってことだ」
「あたしを一番に思ってくれる人……」
ソニアはこの時、以前ラムリーザがリリスに言ったことを思い出した。
「本当に申し訳ない、僕はソニアが一番なんだ」
あの時、ラムリーザはそう言ってリリスの告白を退けてくれたのだ。
「ラム! あたしが一番のラム! ラムがいい! 別れないから!」
ソニアは涙目になってラムリーザに抱きついた。
「いや、今朝『別れない』って言ったら怒り出したのは君だろ」
ちょうどラムリーザがラキアに挨拶を返そうとした時に、横から抱きつかれてしまったのだ。ソニアはさっきから、ラムリーザの挨拶の邪魔ばかりしている。
振りほどこうとしてもしがみついたまま離れないので、結局ラムリーザは、ソニアに抱きつかれたまま「ラムリーザです、なんというか、ね。よろしくです」と微妙な挨拶しかできなかったのであった。
昼食時。
今日はラキアも加えて六人で昼食を取ることになった。
なぜだかわからないが、ソニアは妙にご機嫌だ。
「だんだん仲間がー、増えていくー」
謎の歌を歌いながら、食卓の席でくねくねと不思議な動きをしている。ああ、上機嫌の時にやる不思議な踊りに歌詞がついただけですね。
ラムリーザはその姿を見て微笑み、ソフィアは渋い表情で見つめている。ソニアの隣に座ったラキアは、戸惑ったような目で見ている。
ちなみに食卓では、上座にソフィアが座り、左右それぞれにラムリアース、ラムリーザ、ソフィリータの兄弟列と、ラキア、ソニアの外様列が並んでいた。それと、ソニアの母であるメイドが一人控えていた。
「仲間が増えたな~、ほんとだな――痛っ!」
ソニアは、メイドである母に後ろから「静かにしなさい」と手のひらで頭を叩かれてしまった。
「ソニアはラムリーザと一緒じゃないほうが、静かで上品なようですね。やはり交際は考えさせてもらいましょうか」
ソフィアがそう言ったので、ラムリーザは慌てて反論した。
「ちょっと待って母さん、それ話が違う」
「ラム! あたし静かにする! お口にチャックしてご飯食べるよ、食べるよ!」
そうなったら困るとばかりに、ソニアも慌てて行儀を正そうとするが、またしても「声が大きい」と頭を叩かれる。
ソニアは「むー……」と横目で母を睨みつけながら、大きなチキンに手を伸ばした。そして豪快にかぶりつく。
「おい、お口にチャックはどうした?」
どうでもいいことだが、ラムリーザはなんとなく突っ込んでみた。ソニアが有言実行しようとするならどのような行動に出るのか、という興味があったのだ。
ソニアは、「むっ」と小さく唸って、慌てて口を閉じる。それからその閉じた口にチキンを押し込んで、押し込んで――。
「無理! お口にチャックでご飯食べられるわけないじゃない! なんなのよもう!」
「いい加減にしなさい!」
とうとうソフィアはきつい口調で怒ってしまった。
ソニアの代わりにメイドである母が「申し訳ありません」と謝り、今度は握りこぶしでソニアの頭を小突いた。
「もー、痛いよ母さん!」
その様子を見てラキアは、この娘は何? といった感じの視線をラムリアースに向けた。
ラムリアースはその視線に気がつき、人差し指を振って心配ないといった感じに微笑み返してやるのだった。ラムリーザやラムリアースにとっては、こんな感じのソニアが自然なのだ。昨日の沈み込んだ雰囲気が異常なのだった。
「ソニア、静かに食べられないのだったら、もうフォレスター家に混じって食事させません」
「えー……」
「他の使用人と一緒の食卓で食べてもらいますよ」
「やだ! ラムと一緒に食べたい」
「それならお行儀良くしなさい」
「はーい……」
このやり取りも、これまで何度あったことだろうか。
静かにする、美味しい食事にテンションが上がる、口数が多くなる、怒られる、静かになる。このローテーションの繰り返しが、食事時の日常であった。今回の場合は、ラキアという新顔が入ったことによるテンション上昇がスタートであったが。
なにはともあれ、一連の流れでソニアは静かになる段階に入り、平穏な昼食が再開されたのだ。
しばらくしてソニアは、チキンに胡椒をかけたほうがもっと美味しいのではないかと考え、テーブル中央に置いてある胡椒の入った瓶に手を伸ばした。だが、身体を乗り出して前のめりになったとたん、大きな胸がミルクの入ったコップに当たってしまい、倒してしまった。
隣にいたラキアは、「ちょ、ちょっと」と言って慌てて席を立ち上がり、ラムリーザはぷっと吹き出し、ソフィアは冷めた視線をソニアに送っている。
台拭きを手にして、憤怒の形相で迫ってくるメイドである自分の母を見て、ソニアは半泣き声で無実を訴える。
「あ、あたし悪くない! この大きな胸が悪っ――ふっ、ふえぇ……」
だめだこりゃ。
だが、これが平常運転。沈んだ空気よりは、多少行儀悪くても賑やかなほうがずっとマシということだね。
昨日の重たさが嘘みたいだ、とラムリーザは思った。
面倒で騒がしくて、しょっちゅう怒られてばかりだけれど――その真ん中にソニアがいる食卓こそが、自分にとって一番「普通」で、一番落ち着く場所なのだと、今さらのように確認させられるのだった。
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