十五年目のすれ違い実験と、その後始末 ~後編~
炎心の月・学匠の日――(現暦換算:八月八日)
昼食の時間になり、再び兄弟と妹、そしてソニアも顔を合わせることになった。
兄のラムリアースと、弟のラムリーザ。妹のソフィリータと、血は繋がっていないが一緒に育てられてきたソニアの四人である。
しかし、朝と同じく空気は変わらず、みんな黙々と静かに食事を取っていた。その雰囲気が、ラムリーザには重々しく感じてしまう。
そこで食事も終盤に差し掛かった頃、ラムリーザは正面で面白くなさそうな顔をして食事しているソニアの顔を見て言った。
「ソニア、本当にごめん。試したりなんかして僕が悪かったよ」
また部屋にこもられても困るので、こうして顔を合わせているうちに言っておこうと考えたのだ。
ソニアは、ラムリーザの顔をしばらくぼんやりと眺めていたが、突然目に涙がぶわっと浮かび上がる。そして、「ふっ、ふええぇぇん!」と泣き出してしまった。
そしてそのまま、こぶしで目を覆いながら席を立ち、食事を中途半端に残しながら食堂から駆け出して行ってしまった。
「何でそこで泣くかな……」
ラムリアースは困ったように呟いた。
「えっと……、僕はまた何かまずいこと言ったかな?」
「リザ兄様は、本当に取り返しのつかないことをやってしまいましたね……」
戸惑うラムリーザに、ソフィリータは半分諦めたかのように呟いた。
朝から続くこの一連の流れを見て、ソフィアは「ラムリーザとソニアはもうダメなようね」と冷静な声で言った。
ソフィア的には、結婚というものは家と家の繋がりだと考えている部分が強い。それなりに力を持った名家と縁ができることで、フォレスター家をより発展させていくという考えを持っているのだ。
「えーと……」
ラムリーザは言葉に詰まった。本当にもうダメなんだろうか……。
「気にすることはありません。そのために毎月パーティを開いているのです」
ソフィアはラムリーザにあくまで冷静に話しかける。名家との縁談と比べてソニアとの交際は、フォレスター家には何の価値もない。ただ、二人がお互いを愛し合っているというのならば、無理に引き裂いたりはせずに好きにさせてあげていたという考えがあったのだ。
だから、ソフィアはラムリーザに、どこか満足そうな目を向けて話を続けた。
「あの地方の領主にも娘はいるし、あなたは首長の娘とも仲が良いと聞いていますよ。そういった娘と縁談を用意するのもその場――」
「それは待った」
ソフィアの言葉を遮ったのはラムリアースだ。
「それはさすがにソニアが可哀想すぎる。あの娘はラムリーザのことが好きなんだぞ」
ラムリアースは、先ほどソニアが部屋に来たときに「今でもラムが好き」と言ったことを覚えていたのだ。
「さっきの態度からは、そうは見えません」
ソフィアは、見たままのことを話した。それは、ソニアがラムリーザの謝罪を受け入れずに立ち去った、という事実だ。
「ラムリーザしっかりしろよ。俺が帰省してなければ、ひょっとしたらお前らの関係終わってたんじゃないか?」
ラムリーザは、ラムリアースに呆れた顔で見られて、決まりが悪そうに頭をかく。そして「もう一度話し合うよ」と言って、食堂から出て行った。
ラムリーザは、朝食後と同じようにソニアの部屋の前にやってきた。
「話聞いてよ、返事して」
部屋をノックしながらソニアに語りかける。しかし、やはり返事はなかった。
ラムリーザが「もうダメかな……」と思った時、脳裏にリリスとユコの顔がふっと浮かび上がった。二人は、好意的な表情を浮かべてラムリーザを見ている。いや、それはだめだろう。いかんいかんと首を振って、二人の姿を消し去り、再びソニアの部屋をノックした。
ラムリーザはいつの頃からか、ソニアを幸せにすることを自分の目標のように考えるようになっていた。しかし今は、幸せにするどころか会話もできない状況になってしまっている。
「十五年間積み上げてきたことが、たった一言で崩壊するってこともあるんだな……」
ラムリーザが肩を落として呟いた時、背後からラムリアースがそれを否定した。
「いや、まだ大丈夫。ぐらぐらだが崩壊はしてないぞ」
「それならいいけどね」
「全くお前らは……、こらソニア! 取り返しがつかないことになるぞ、出て来い!」
ラムリアースは、ソニアの部屋のドアを叩きながら言ったが、やはり部屋からは何の反応もなかった。だからと言って、強引に乗り込むほど二人の気性は荒くなかった。というより、強引に事を進めるのは逆効果だろう。
二人はため息をついて、ラムリアースは自室へ、ラムリーザは気持ちを落ち着かせる目的で裏庭で昼寝するために外に出て行った。
ラムリアースは自室に戻って、午前中に読みかけた書物の続きを読んでいた。
しばらく経った頃、涙目になったソニアが午前中と同じように現れた。そして、「ラムが帰ってこない……」と弱々しく呟く。その呟きを聞いたラムリアースは、イラッとくるものを感じて、思わず語気を強めて怒鳴りつけた。
「呼んだのに出てこなかったじゃないか! 今が大事な時なんだから、強情を張るな!」
「誰も来なかったよ!」
ソニアも甲高い声を張り上げて反論した。ラムリアースは、その声を聞いて思わず身を引いてしまう。ラムリアースにとっては、久々に聞くソニアの眠気もすっ飛ぶ大声であった。
それよりも、「誰も来なかった」とはどういうことか?
「なんだそれ、どこにいたんだ?」
「ずっとラムの部屋で朝から待ってたよ……」
ソニアの目から、一滴の涙がこぼれた。
しかし、この返事にラムリアースは言葉を失った。まさかこの状況で、ラムリーザの部屋に居座っていたとは想像できなかったのだ。
「ソニア、今からは自分の部屋に帰れ」
ラムリーザを探そうと思っても、広い敷地内で探し出すのは困難である。携帯電話にメールを送れば済むことだろうが、ソニアはこれまでにほぼすべての時間ラムリーザと一緒にいたので、一度もメールを送っていないし、送る必要もなかったのだ。それ故に、メールを送るという行動にはつながらなかったのである。
だから、ソニアは「うん」と一言だけ答えて、自分の部屋に戻るしかなかった。
ラムリーザが裏庭で昼寝から目覚めた時には、西の空が赤くなっていた。
すぐ脇にソニアがいないのに気がついて、そういえば喧嘩中だったなと思い出した。長い時間一人で眠ったのは、ソニアが徹夜でネトゲをやっていた時以来かもしれない。
とにかくここのところ、半日近くソニアがそばにいないという日はなかったと思う。
晩ご飯の時間も、雰囲気は変わらなかった。
「今日はずいぶんと行儀がいいのですね。何があったのか知りませんが、怪我の功名とでもいうのでしょうか」
ソフィアはソニアのほうを見てそう語った。しおれているソニアは、ソフィアの目には行儀よく映ったようだ。
ソニアは慌てたようにソフィアの顔を見て、次にラムリーザのほうへ視線をやり、何か言いたそうに口をパクパクさせた。だが、ラムリーザと目が合ってしまうと、口をつぐんで俯いてしまうのだった。
ここ最近で、ラムリーザとソニアがまともに会話しない日があっただろうか。
ソニアは食事を終えると、昼間ラムリアースに言われたとおり、今度は自分の部屋に戻っていったのである。
「あの、ラムリーザ様、差し出がましいことかもしれませんが、ソニアは大丈夫なのですか?」
ソニアの母親であるメイドのナンシーが、ラムリーザとソニアの様子が朝からおかしいということを気にして尋ねた。母親としては、娘が気がかりということだろう。
「た、たぶんね。今日はあまり会ってないけど、大丈夫……じゃない、とは言いきれなくなくなく……」
ラムリーザは、自分で話していて何が言いたいのかわからなくなってしまった。ソニアの母親の心配そうな顔を見て、少しばかり動揺してしまうのだ。
「ソニアならずっとお前の部屋にいたみたいだぞ」
「えっ、マジで……」
ラムリアースに言われて、ラムリーザは少しばかり驚いた。ラムリーザも兄同様、まさかこの状況で、ソニアが自分の部屋に居座っていたとは想像していなかった。ラムリーザ自身、喧嘩中だと思っていたのだ。喧嘩相手が自分の部屋に居座る、何それ怖い……。
「……そっか、喧嘩しているわけじゃなかったのか」
ラムリーザは、食事を済ませて自分の部屋に戻っていった。
「いないじゃん」
ラムリーザは、自分の部屋に入ったが、そこには誰もいなかった。
仕方なく、窓際のリクライニングチェアに横たわって待つことにした。「トイレにでも行ってるのかな」とか考えていた。
つまり、ソニアはラムリアースに言われて自分の部屋に戻り、ラムリーザも「お前の部屋にいた」と聞いて、自分の部屋に戻ったのだ。なんともめんどくさいすれ違いである。
ラムリーザはしばらく待ったが、一向にソニアは現れない。
仕方なく、屋敷の一室を使って作り上げたセッションルームに向かい、そこで適当にドラムを叩いて時間をつぶしていた。楽器類は一切持ち出さなかったため、向こうで買い直す必要があったが、そのおかげで実家には演奏環境がそのまま残っているのである。
そこにソフィリータが顔を出したので、久しぶりに一緒に演奏して遊ぶのであった。
「なぁソフィ。君は百の歌っていうの、知ってるか?」
「百の歌? 百って、何が百ですか?」
「んーと、ソフィは胸囲っていくつかな? 要するに、おっぱいのサイズ」
「なっ、なんてことを聞くのですかリザ兄様は! 胸のサイズを聞くなんて失礼ですよ! そんなのだからソニア姉様と面倒なことになるんです!」
ソフィリータは、恥ずかしそうに顔を赤くして文句を言った。
「ごめんごめん。で、だ。例えばソフィのおっぱいのサイズが百あったとしたら、どうする?」
「何それ怖い……」
ソフィリータの顔色が、赤かったのがすっと引いていくのを見て、ラムリーザは思わず苦笑してしまう。自分の彼女は、妹にとって恐怖の対象なのであろうか、などと考えてしまいおかしく思うのだった。
一方その頃ソニアは、ほとんど私物がない自室に一人こもっていた。私物がないのは、この春からラムリーザの部屋に入り浸るようになり、必要なものは全て持っていったからである。ゲーム機、着替え、その他諸々は、今現在ラムリーザの部屋にあるのだ。
ソニアはぼんやりと待っていたが、一時間経っても一向にラムリーザはやってこない。
結局、また泣きながらラムリアースの部屋に向かうのだった。
ラムリアースは、いい加減ラムリーザとソニアの関係が正常に戻れよ、などと思いながら、自室のベッドの上で書物の続きを読みつつ、寝る時間まで過ごしていたのである。
そこに、泣いているソニアがまた現れたのだ。
「……また会えなかったのか?」
ソニアはこくりと頷くと、ラムリアースが寝転がっているベッドの上に上がってこようとした。さらに、ラムリアースのほうに手を伸ばそうとしてくる。
「待て待て待て、それはいかん。今朝、ラムリーザはやってはいけないことをやった。だが今はお前がやってはいけないことをやろうとしている」
ラムリアースはソニアの手を逃れて、ベッドから降りてソニアにもベッドから離れるよう手を振った。その時、キャミソールからこぼれそうなほどの大きな胸が目に入り、思わず顔をしかめた。
「だってぇ……」
ソニアは困ったように呟いたが、ラムリアースははっきりと拒絶する。
「俺には婚約者がいるから、お前とは寝ない。お前はラムリーザを探しに行くべきだ」
ラムリアースは、ソニアがベッドに手をついたまま動こうとしないので、その手を取って一緒にラムリーザを探しに出かけることにした。
まずラムリーザの部屋に行ったが、そこはもぬけの殻だった。
仕方なく、屋敷中をソニアの手を引いて歩き回っていたら、セッションルームとして使っていた部屋から、音がしているのに気がついた。
「あら、リアス兄様とソニア姉様も来たのですね。折角だからご一緒しませんか?」
ラムリアースとソニアが部屋に入った時、真っ先に言われた台詞がソフィリータのこれである。
ラムリーザは、今日は今朝を除けば食事以外で初めて見るソニアの姿に、はっとして一瞬演奏が止まったが、すぐに何事もなかったかのように演奏を続けた。ここまでこじれた……わけでもないが、今さらどういった言葉をかけたらいいのか分からないのだ。ごめんと言えば泣き出すし、どうすればいいのだろう。
「うむ、そう言われると今が修羅場なのかどうか分かりにくいな。ソニアはやるか?」
ラムリアースの問いに、ソニアは小さく頷いた。
そこで、四人は揃って演奏を開始した。二年前にラムリアースが城勤めを始めて以来の、久しぶりの四人であった。
このメンバーだと、ラムリアースがリーダーでメインボーカルだった。
振り向けばキミはいつもそこにいたね
ボクらはいつも一緒だった
もちろんこれからもずっと
何気ない一言がすれ違いを生みだして
二人の距離は離れてしまった
でも心は繋がったまま
ごめんの一言で二人は元通り
ラムリアースは、自分が作った数ある歌の中から、なんとなくこの歌を選んで歌いきった。
「はい、ラムリーザとソニアはそこでキスをしろ」
「え?」
「キスしろ、仲直りのキス。ケンカの後は、ほっぺにちゅ、だろ」

最後の言葉はなんだかよく分からなかったが、ラムリーザは近くにソニアを呼び寄せた。そして、二人は深いキスを交わすのであった。
「よし、それで仲直りな。でもなんかまだ不安だから、もうしばらく演奏をしよう。ラムリーザ、このグループ名はなんだっけな?」
ラムリーザは少し考え、これだと言った感じで答えた。
「真・ラムリーズ」
「ん、そうか。それでは、『真・ラムリーズ』の演奏、のんびりと楽しんでください」
客はいないが、ラムリアースの即席挨拶で、室内ライブが始まった。
『ラムリーズ』の原点はここにあった。ソニアが音楽をやろうと話を持ち込んできて、ラムリーザと二人で始めたバンド。そこに兄と妹が加わり、グループとしての形が完成したのだった。
三年前は、全く経験したことのなかった状態から始まった四人が、再びめぐり合って演奏している。原点回帰とは、こういうことだろう。
音楽は嫌なことを忘れさせてくれる。ソニアも、次第に元気を取り戻し、表情が明るくなっていった。
「つかぬことをお伺いしますが……」
曲と曲の合間に、ソフィリータがおそるおそるといった感じで尋ねた。
「ソニア姉様のバストサイズって、ひょっとして百あるのですか?」
「ぶっ! しゃっ、しゃべったな、ラム!」
「いや、しゃべってないぞ。ソニアのおっぱいの大きさが百ある、とは言ってないはずだ」
「あっ、今言った!」
「なっ、なんだその誘導尋問みたいな言い方は」
ソフィリータはそれほど胸は大きくない。だが、ソニアが音楽にノリノリになって身体を楽しそうに動かしていて、それに合わせて大きな胸が揺れまくるのを見てちょっと気になったのだ。
「いや、だってその……リザ兄様が、何の根拠もなく唐突に胸のサイズが百あるかどうか聞いてくるなんて不思議だったので、ひょっとしたらソニア姉様が……」
「バスト100cmって、なんじゃそりゃ。それって、何カップになるんだよ」
爆乳が苦手なラムリアースは、うんざりしたような声で聞いた。
「どうだろう、この春測った時は98cmで、みんな……じゃなくて言ってるのは一人だけど、その人はJカップ様とか呼んでたよ」
「2cm増えたってことは、今Kカップですか?」
「もうやめてよ!」
ソニアの頭の中で、『一メートル様』、『Kカップ様』という呼称が聞こえて身震いして叫んだ。リリスなら確実にそう呼んでくるだろう。
「おう、やめよう。次行くぞ!」
ラムリアースはさっさとこの話題を終了させて、次の音楽に取り掛かった。ラムリアースにとって、胸の話はあまり面白いものではない。
この日は、夜遅くまで演奏は続いたのであった。
結局、静かになった深夜の屋敷に音が鳴り響き、母親のソフィアが「もう寝なさい」と乗り込んでくるまで終わらなかったのである。
演奏後、ラムリーザの部屋。
ラムリーザとソニアは布団の中で見つめ合っている。ようやくいつものような関係に戻ることができたのだ。
すれ違いのままだったら、この夜はどうなっていたんだろうとラムリーザは思った。ラムリーザの予想が正しければ、ソニアは一人で眠ることができないはずだ。
「ねぇ、別れようよ」
その時ソニアは、今朝のラムリーザのように突然別れを切り出した。
ラムリーザが驚いてソニアの顔を見ると、冗談だよって雰囲気で微笑を浮かべていた。
「うむ……、その言葉、キツいな」
ラムリーザが顔をしかめて呟くと、ソニアも「うん、あたしもなんか好きじゃない」と答えた。
そこでラムリーザは、こんなことはやめようと提案した。
「よし、今後はもう『別れよう』という言葉は二人の間では禁句ということで、使ってはいけないとする。異論は?」
「ないっ。二度と使わないようにしようね!」
ということで、厄介そのものである『別れよう』という言葉を封印することで、今日一日かけて起きたすれ違い騒動は幕を閉じたのであった。
十五年かけて積み上げてきたものは、たぶん一言では壊れない。
それでも、壊れそうになるときはある。
そのたびに、こうして禁句をひとつずつ増やしていけばいい――
ラムリーザは、腕の中で眠りに落ちかけているソニアの体温を確かめながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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