使命の前夜、そして別れの音色
帝国歴77年 風花の月・王の日――(現暦:3月18日)
ハッと気がつくと、そこは屋敷――フォレスター邸――にある自室のベッドの上だった。
ラムリーザは、まだドキドキしている胸を押さえ、部屋にある柱時計に目をやった。
午前三時十五分、ということは三月十八日だ。
先ほどまでの出来事は、どうやら夢だったようだ。
それでも楽しかったな、とラムリーザは思った。最後はひどい出来事があったが、それまでは本当に和んだのも事実だ。
あんな仲間と出会えたら、本当に楽しいだろうな、などと思うのだが、それもうまくはいかないだろうと考える。そもそも最終的にはすべてが滅びる内容であり、あれを予知夢とはとらえたくなかった。
しかし、幼馴染のソニアもどうなるかわからないのだ。それは、先ほどの夢が暗示していたとでもいうのだろうか。

あの光と闇の夢は、もう指先の温度すら思い出せないが……胸の奥にはまだ、何かが残っていた。
このときラムリーザは、昨夜の母との会話を思い出していた。
3月17日――
窓から満月の光が差し込む夜更け、ラムリーザは屋敷の談話室にやってきた。部屋には長方形で大きめのテーブルがあり、それぞれ一人ずつ対面で座る席と、左右に三脚ずつ椅子が置かれていた。
そこには、整った長い金色の髪と、それに合わせたような金の瞳の女性がテーブルの奥の席に静かに座っていた。赤いガウンを着ていて、まるで皇妃を連想させるような格好をしている。
ラムリーザの住むエルドラード帝国の皇帝の姉にして、ラムリーザの母親であるソフィア・マリーチ・エルドラード・フォレスターだ。
そのときのソフィアは、普段の恍惚としたような目つきではなく、鋭い目つきをしていたので、ラムリーザはその目を見て、重要な話が来ると悟った。
「今後のことを話しておきましょう」
穏やかだが力のこもったソフィアの声を聞きながら、ラムリーザは向かいの席に腰を下ろした。
「前から言ってた、帝都から離れるってことかな?」
「そうです」
現在エルドラード帝国は、隣国であるユライカナンとの国交強化が進められようとしているところだ。
その第一歩として、国境都市の開発が決まり、路線の整備が進められていた。都市構想として、貿易施設の中継地点というコンセプトを中心に造られることになっている。
そこで、新たに創られる国境都市の領主として、将来的にラムリーザを据えるという話が進んでいるのだ。
ラムリーザの父はエルドラード帝国の宰相である。息子をそのような地位に就けるぐらいの権限はあった。ラムリーザには兄がいて、跡取りはその兄に決まっている。そこで弟を国境都市の領主に据えることで、弟の将来、そしてフォレスター家の勢力増大を考えているのだ。
今年に入ったころから、ラムリーザはソフィアから「来年には国境都市に住むことになるでしょう」と聞かされていた。
そういうことで、帝都シャングリラの高校には進学せずに、国境に近い田舎町ポッターズ・ブラフにある高校に進学することになっていた。
そして、新たに国境都市に建てる屋敷が完成するまでは、フォレスター家の遠縁関係にある者の屋敷を、寄宿舎として間借りするという話も決めていた。新しい屋敷は一年もすれば出来上がるだろう。
ラムリーザは、家の事情というものを理解しているので、そのような動きを特に不快とは思っていなかった。
ただ一つ、楽しいところだといいな、という希望はあった。
だが、ラムリーザは、ひとつ気になっていることがあり、思わずつぶやいた。
「ソニアと別れちゃうのかなぁ……」
ラムリーザにはソニアという物心がついた頃からずっと一緒の幼なじみがいる。ラムリーザが生まれたのと同じ年にソニアは生まれ、同じ屋敷の中で双子の兄妹のように育てられてきた。
勝ち気ででしゃばりなソニアと、そんな彼女をおおらかな心で見守るようなラムリーザ。二人はそんな性格で、関係は今までずっとうまくいっている。
「あなたも今年で十六になります。それはあなたが決めることなのです」
ソフィアは話を続けた。
「今はまだ辺境の地方でしかありませんが、これからはユライカナンとの国交の最最前線となります。国の重要な拠点として発展していくでしょう。ラムリーザ、あなたはその地の領主となるのです。そのために、ラムリーザも社交の場に出てもらいます。意味はわかりますね?」
「……縁談?」
「そのとおり、もう三年もすれば伴侶を決めなければなりません」
「伴侶……」
家の事情というものを理解しているラムリーザは、その言葉の意味することがわかっていた。それは、その地方の名家の令嬢との縁談だということを理解するのは難しくなかった。また、それが政略結婚と言われるものだということも。
「あなたは、我がフォレスター家にとっても、帝国にとっても大切な子。だから私は母として、あなたを異なる地へ旅立たせる日を思うと少しだけ怖いのです」
そして、そのために国境に近い街に引っ越すということだ。その街の名家と結ばれることで、その地方での足掛かりを強化するために。
だが、伴侶という言葉を聞いて、ラムリーザはソニアのことを思い浮かべた。
「そうなったら、ソニアはどうするんだろう」
ラムリーザは考えた。使用人として雇うことで、これからも一緒にいられるのだろうか、と。
「それはあなたが決めることです」
ソフィアの言葉は先ほどのものと変わらなかった。そして軽く微笑み、そのままいつもの恍惚としたような目つきに戻った。
3月18日――
現在、ラムリーザの身近には、二人の女の子がいる。
一人は妹のソフィリータ。ラムリーザの一つ下で、彼のことをお兄様と慕い、従順でおとなしい。それでいて、少し甘えている面もある。
だが、とある事情で格闘技を学び、今ではそれなりに強く、並の男なら軽く打ち負かしてしまうぐらいの腕前になっていた。
もう一人はソニア。ラムリーザとは家族ではないが、同じ年に生まれたときから一緒の幼馴染で、そういうこともあって妹のソフィリータよりも付き合いは長い。
というのは、まずフォレスター家は名家であり、執事やメイドといった使用人が普通にいるところである。そしてソニアは、そのフォレスター家に仕える執事とメイドの娘なのだ。
だから、同じ屋敷内で、物心がつく以前から兄妹のように一緒に育てられてきたのだ。
ラムリーザにとっては、血のつながりのない双子の妹と、一つ下の実妹がいるような感覚で過ごしてきた。
いつも二人を大切にしようと考えていたし、二人もラムリーザを慕っていた。
だが、その関係はこの春で一つの区切りを迎えようとしていた。
「こうして三人で演奏するのもあとわずかだな」
「そうですね、リザ兄様はもうすぐ帝都を発たれますし」
フォレスター家の屋敷の一部屋は、セッションルームとして使用している。そこでラムリーザたちは、息抜きとして何度も即興演奏をやったり、曲を決めて演奏したりして暮らしてきた。
ラムリーザはドラム、妹のソフィリータはギター、そしてソニアはベースを担当している。これは、二年ほど前にソニアの気まぐれから始めていて、将来メジャーデビューするならグループ名は「ラムリーズ」にしようとか冗談で言っていた。
それでも、メジャーデビューとまではいかないが、ラムリーザの親友の親が経営しているクラブで、その友人と一緒に演奏したことは何度かあった。
「寂しくなりますね、リザ兄様」
「僕も一人で帝都を発つのだからお互いさまかな」
今日も学校が春休みというのもあり、いつもと同じように三人でたわいもなく演奏して楽しんでいた。
「ソニア姉様はこちらに残るのですか?」
「まぁ……そうなるかな。帝都の女学校に通うことになるとか言ってたし」
その時、ソニアはため息をついて演奏をやめた。
演奏の最後の音が、壁に吸い込まれるように消えた。その静けさの中で、誰も次の曲を言い出せなかった。

ラムリーザはソニアの様子を見て、少し元気がなさそうだなと感じた。今日はなんとなく口数が少ない。それに、いつもの強気に満ちた青い瞳が少し沈んでいるようにも見えた。
いや、よく考えたら今日に限った話ではない。
これまでは、活発で明るい――というよりちょっとうるさいときもある――女の子だったが、中学を卒業する時期が近づくにつれて、彼女は何か考え込むような仕草が増えてきた。そして、不安な目つきでラムリーザのほうを見ていることも多かった。
ただ、こっちがその視線に気がつくと、いつも作ったような笑顔を見せるのだったが。
「ソニア姉様、どうかされましたか?」
「え? あ、いや、なんでもないわ」
ソフィリータに声をかけられ、ソニアは我に返り、慌てたように笑顔を見せる。いつもと違って作り笑顔だということが、ラムリーザにはわかった。
ラムリーザはソニアの母から、彼女はこの春から帝都の女学校に通うことになるという話を聞かされていた。
そこでは花嫁修行のようなものを学ぶことになり、その先はいずれどこかに嫁ぐという流れになっていて、それはこの国での平民の娘がたどる道筋の一つであった。そして使用人の娘であるソニアも例外ではなかった。
それはそれで自然の流れだと思うのだが……。
ラムリーザはソニアと一緒にいられる時間も残り少ないので、明日少し一緒に出かけてみようかと考えた。それに、話をしておきたいこともあったのだ。
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