記憶の穴と根暗吸血鬼
盛歌の月・精霊の日――(現暦換算:七月十四日)
「なんか最近つまんない!」
「そうね、補習ばかりで全然部活に出られないし」
ソニアとリリスは、ここ数日間ずっと不機嫌だ。
それは、試験の結果が悪かったため、毎日放課後に補習をやらされているからだ。もっともそれは、自業自得なのだから仕方がない。
「君たちが勉強しなかったからだろ? ソニアはずっとゲームをやっていたし、リリスも試験前に一体何をやっていたんだ?」
「マインビルダーズ……」
「一人で、かよ……」
マインビルダーズとは、先月六人で一緒にやっていた箱庭ゲームだ。
ラムリーザは、買った当日以降はプレイしていなかったが、リリスは一人で黙々と続けていたようだ。
「全く、この二人には困りますわ。あなたたちが来ないから、私がメインボーカルやらされたり、ドラムを叩かされたりして大変なのですわよ」
「えっ? ユッコがドラム? やだよ、あたしラムのドラムじゃないとベース弾かないよ!」
「だったら早く補習をすべて終わらせて戻ってこい」
次は体育の時間なので、体操着に着替えながらそんな話をしていた。
「二人組みで柔軟体操するんだ」
体育教師の掛け声で、体育の授業は始まった。
ラムリーザはリゲルと組もうとしたが、後ろからソニアに手を引かれる。毎回ソニアは、ラムリーザと組みたがってくるのだ。
「またこのパターンか? ソニアは他の女の子と組めよ。ロザリーン、いいかな?」
リリスはユコと組んでいるので、ラムリーザはロザリーンを呼びつけて頼み込む。
周りを見渡しても、男女で組んで体操しているところは一つもない。そのような中で、ソニアと身体を密着させる度胸はラムリーザにはなかった。というより、そんな度胸は必要ない。
「やだ、ラムと組む。ローザがリゲルと組んだらいいんだ」
「わがままを言うな」
ラムリーザは、いつものようにソニアの背中を押してロザリーンに押し付け、自分はリゲルと組んで準備体操を行った。
今日の体育の授業内容は、ヴァリボールの練習だった。といっても、ほとんど試合をして遊ぶだけだ。
そして、まずはクラスの女子を二組に分けて、女子の試合から始まった。
見たところ、どうやらソニアとリリスはそれぞれ別のチームになったようだ。
そこでリリスは、チームのアタッカーに、余計な入れ知恵を働かせる。
「狙うのはソニアの正面とか足元。そこを狙っていたら簡単に勝てるわ」
これは、先日海でビーチバレーをして遊んだ時に使った、ソニアの大きな胸のために対処しにくいところを攻めるという、若干陰湿な作戦だ。
だがソニアも危険は避けていた。自分はトスかアタック役に徹すると言い張って、前列に立ち、レシーブ役はやらないようにしていた。
このような事情により、試合は荒れることなく淡々と進んでいった。
ラムリーザは、ぼんやりと試合を観戦しながら、この光景をジャンが見たら喜ぶだろうな、とか考えていた。
そこで、ソニアがアタックを打ち込もうと飛び上がったところを、こっそりと携帯型情報端末キュリオで撮影する。そして、そのままジャンに『俺の嫁』というタイトルでメールを送ってみた。
するとすぐにジャンから、『お前最高! 体操服とニーソうひょ! ソニアじゃなくてリリス希望!』と返事が返ってきた。ジャンは、よっぽどリリスが気に入ったようだ。だがそれには、『リリスにはプライバシーがあるからダメだ』と返しておいた。
女子の試合が終わり、ソニアはラムリーザが盗撮しているとは知らずに戻ってきた。
ソニアたちは、飛んだり跳ねたりの運動で、靴下が太ももの位置からずり落ちている。
リリスやユコは、自分の手で直したが、ソニアはラムリーザの隣に座ると、ラムリーザの足の上にどかっと自分の足を投げ出してくる。
ラムリーザが「なんぞ?」と言って、眉をひそめてソニアの顔を見ると、「ラムが直して」と投げやりな感じに答えてくるのだ。
「あのなぁ……」
ラムリーザはため息をつきながら、ソニアのずり落ちた靴下を、太ももの半ばまで引き上げてやった。指先に伝わる体温に、思わず意識がそちらに向かいそうになり、あわてて視線だけはコートのほうに向けておいた。
しかしリゲルは傍にいたため、二人の奇行をばっちりと見られていたようだ。ラムリーザはリゲルの「シュールな光景だな」という呟きに、「うるさいよ」と返しておくのであった。
授業の後半は、男子の練習試合だ。
試合が始まったところで、ソニアは座ったままぼんやりとラムリーザを見ていた。
そこにリリスが、こっそりとソニアの背後に回り、わき腹に指を滑り込ませた。そう、帝都でメルティアがやっていた、悪質なくすぐり攻撃そのままだ。
「えっ? 何?」
リリスの突然の行動に、ユコは驚きの表情を見せる。だが攻められたソニアは驚くどころではない。
「ふっ、ふえぇっ、な、やめっ、メルティアやめてっ、……ってリリス?、なんでっ?!」
「これがええんねーってね。ソニアとの距離の取り方がわかってきたわ、くすっ」
「メ、メルティアのやつ、リリスに余計なことを吹き込ん……ふえぇっ!」
「ごめんねぇ、ビーチバレーでは痛い目にあわせちゃったりして」
ソニアが身体をよじったために、リリスの手は胸から離れてしまった。そこで今度は両足でソニアの腰を挟み込んで離れないようにして、再びくすぐり攻撃を再開した。これにはソニアも抵抗できずに、ついに涙目になってしまった。
「やめっ、ふっ、ふえぇ……」
「ふーん、何だか楽しそうね」
ユコも面白そうに、ソニアを突っついてみた。
「全く、どういう食事をしていたらこんなに――」
「こほん!」
ユコがソニアの胸に手を伸ばしかけた時、突然脇から大きな咳払いが聞こえた。リリスとユコはびっくりして手の動きを止める。
「あ……」
二人が振り向いた先には、怒った顔で睨みつけているクラス委員のロザリーンの姿があった。
「風紀委員じゃないけど、そういう行為は感心できないわ」
ロザリーンは、静かに、しかし厳しい口調で言った。
リリスは、「仕方ない」と言って、最後にソニアの首筋を指でそっと撫でてから離れてあげた。
「ふっ、ふえぇっ!」
そのためにソニアは、再び悲鳴をあげてしまうことになったのだが……。
「全く、変なことをしてないで試合を見てなさい」
リリスとユコは、ロザリーンの言うことに素直に従って試合の観戦を始めた。その一方で、ソニアは首筋を撫でながら、身震いしているのだった。
ラムリーザのチームは、長身のラムリーザとリゲルをアタッカーとして試合を進めていた。
途中まで、特に何も特別なことは起こらない平凡な試合だったが、そのうち敵チームのアタッカーが、遊び半分に後衛潰しを仕掛けた。
その男子生徒は、運動神経はあったが少々乱暴な性格であるようだ。彼のアタックで放たれたボールは、地面を目指さずに生徒の頭や胸を狙って飛んできた。
後衛の一人は、思いっきり胸にボールをぶつけられてうずくまる。
「どうだ、このノックアウトアタックの味は」
敵チームのアタッカーは、悪びれる様子もなく、ニヤニヤしている。
「なんか変な空気になってきたね」
「ラムリーザ、あいつは俺たちを潰す気だ。気をつけろよ」
「そうは言うけどねぇ……」
そのうち、ラムリーザが後衛に回りサーブをする番となった。ゲームを再開するが、再びノックアウトアタックとやらで、後衛がまた一人やられてしまった。
その様子は、観戦中のソニアたちにも伝わっていた。
「あれ、なんかやばくない?」
「潰しにかかってますわね」
「ラムに何かあったら許さないんだから」
三人の不安は的中し、次はラムリーザが狙われてしまった。
ラムリーザは、相手の放ったボールがまっすぐ自分の頭めがけて飛んできているのはわかった。だが避ける間もなく頭に直撃し、その瞬間目の前が暗転した――。
「あっ、やったな!」
ラムリーザが意識を失って倒れてしまったのを見て、ソニアがコート内に飛び出した。リリスとユコも後に続く。
「ラム! しっかりして!」
ソニアは、ラムリーザを心配して駆け寄ったが、すぐに攻撃していた敵のアタッカーに突っかかっていった。そして、体育館中に響き渡るような大声をぶっ放す。
「ちょっと! そこまですることないでしょ!」
「な、なんだよ。ちょっと頭にボールが当たったぐらいで、ギャーギャー騒ぐなよ」
「あからさまに暴力を振るってきたじゃないのよ! このぶつけ魔!」
その男子は、ソニアの甲高い大声に、少したじろいでいる。
そこにリリスもやってきて、「力に訴えるやりかた、野蛮人ね」と髪をかきあげながら静かに冷たく言い放つ。
「野蛮人だと? 根暗吸血鬼は黙ってろ!」
「くっ……」
リリスは、普段は何を言われても余裕な態度を取っているが、なぜか今回は彼の一言で唇を噛んで俯いて目を逸らしてしまった。
「ええ、あなたは野蛮人ですわ」
「ラムに何かあったらあんた責任取れるの?! 何が起きても知らないよ! 社会から抹消されるかもだよ!」
「なんだよそれは……」
彼は三人の女の子に責められ、しかもソニアに大声で物騒なことを言われて、居心地が悪くなったらしい。そして、「すまんかったよ!」とめんどくさそうに言い放った。
ソニアたちが責めている間、リゲルは失神したラムリーザを抱え上げて、保健室に運び込もうとしていた。
「あなたたちもそのくらいで許してあげなさい。彼、すっかりふてくされちゃってるよ」
ロザリーンにそう言われて、「ふん」「ふん」「べーだ」とリリスとユコは鼻を鳴らし、ソニアはあかんべーをして、ラムリーザを運んでいるリゲルを追いかけていった。
数十分後、ラムリーザは保健室のベッドで意識を取り戻した。そして、「あれ? いつの間に……」と一人呟いた。
しばらく経って体育の時間が終わった直後に、ラムリーザの取り巻き、じゃなくてハーレム要員、じゃなくて……何でもいいや、ソニア、リリス、ユコの三人が保健室に現れた。そして、ラムリーザが起きているのを見て喜んだ。
「心配かけてごめんよ。何だかしてやられたみたいだけど、特に何ともないみたいだから」
「ほんと? ラムリーザは身体が頑丈みたいだから、ソニアの胸ぐらいのサイズのボールぐらい簡単に跳ね返すと思ったわ」
リリスは、場がしんみりしてしまうのをなんとなく嫌がって、いつものようにソニアをいじくる。当然ソニアは、「ボールぐらいのサイズって何よ!」と大声を出すことになる。保健室なのに……。
「ボールぐらいのサイズって何だよ――っと、まあどうでもいいや。ちょっと当たり所が悪くて、意識を失ってしまったみたいだけど」
「ほんとに何ともないんですの?」
ユコは心配そうに聞いてくる。
「ちょっと記憶が曖昧になっているみたい。何が起きたのか覚えてなくて、気がついたらここにいた……と」
ラムリーザの記憶では、ソニアたちがヴァリボールをやっていて、ジャンにメールを送ったというところで途切れていて、その後何が起きたか記憶に残っていない。
そこでリリスは、試合中にボールが頭にぶつかったということを説明した。
「ああ、そういうことか。気をつけなくちゃね」
ラムリーザはここで、リリスの言っていたボールぐらいのサイズという意味が分かった。どうやら頭にボールがぶつかったショックで、その少し前の出来事の記憶が飛んでしまったようだった。
「そんなことよりも……」
リリスは何か思い悩んだ素振りを見せて言葉を続けた。

「……ラムリーザは私のこと、その、根暗吸血鬼に見える?」
ラムリーザは、一瞬リリスが何を言っているのか分からなかった。
根暗吸血鬼――。
一度クラスメイトからその言葉を聞いたような記憶があったが、それが何を指しているのかすぐには思いつかなかった。
不安そうな顔でこちらを見ているリリスから視線を逸らし、ユコのほうに視線をやる。ユコはラムリーザと目が合うと、小さくため息を吐いて目を逸らした。
ラムリーザは、そのユコの表情を見て、その言葉はリリスの過去のイメージなのだと察した。
「違うだろ、リリスは妖艶なる黒髪の美女じゃないかな?」
リリスは、ラムリーザに否定してもらえて、表情をぱっと明るくした。そして、「ありがとう!」と言って、ベッドの上で身を起こしているラムリーザに抱きついた。
「こっ、こら! ラムに抱きつくな!」
ソニアはリリスに後ろからしがみついて、ラムリーザから引き剥がそうとする。しかし、リリスはラムリーザの服をつかんで離れようとしない。
さらにソニアはリリスの体操服の裾をつまんで引っぱり、「離れろってば!」と揺さぶる。それでもリリスがしがみついたままなので、今度は腰に抱きついて、二人まとめてベッドから引きはがそうとする。
逆にリリスは、後ろから掴みかかってくるソニアを、押し返すように蹴っ飛ばす。
「こっ、このぉ!」
ソニアはよろけそうになったが、リリスの突き出した足を掴んでバランスを取り戻す。
そしてリリスの足を睨みつけて、履いているサイハイソックスに手をかけて、ぐいっとずり下ろしてやったのだ。
「ちょっと! なにすんのよ!」
そこでようやくリリスはラムリーザから離れた。ソニアの放った突拍子もない攻撃に驚き、若干声がひっくり返っている。
「なによ、この泥棒猫!」
ソニアは攻撃が効いたことに気をよくして、さらに反対側の足のほうも引っ張ってずり下ろそうとした。
「やっ、やめてよこの変態乳牛!」
しかしリリスが嫌がって飛びのいたため、ソニアは当初の目的だったラムリーザから彼女を引き離すことに成功したのであった。
「……ったく、これじゃ寝てられないな」
ラムリーザは、ソニアとリリスがやりあっているほうとは反対側からベッドを降りて、立ち上がった。
ソニアに感化されてか、リリスもなんだか感情的になって声を荒げている。他に休んでいる生徒がいなかったのが不幸中の幸いであった。
「立ち上がって大丈夫ですの?」
ユコが心配そうに駆け寄ってくる。
ラムリーザは「大丈夫」と言って、ユコを制する。あまり近づけると、ソニアの攻撃が今度はユコに向きかねない。
そして、保健医の先生にお礼を言って、さっさとこの場を立ち去ることにした。この状況であまり長居はしないほうがいいだろう。
「ほら、ソニアも行くぞ」
「あっ、ラム」
ソニアはラムリーザのほうを振り向いたが、すぐにリリスのほうに視線を戻した。
リリスは左足のサイハイソックスを直して、今度は右足に取り掛かっている。ソニアはまだ名残惜しそうにそれを一瞥したが、結局ラムリーザを追って保健室を出て行った。
「な、なんなのよ……」
保健室には、呆然とするリリスが一人、取り残されてしまった。
とりあえず今日のところは、特にラムリーザの容態に問題はなかったのである。
保健室を出て廊下を歩きながら、ラムリーザはこめかみのあたりを指で押さえた。痛みはもうほとんどない。ただ、さっきまでいたはずの体育館の光景が、ところどころ白く塗りつぶされたみたいに抜け落ちているのが気持ち悪い。
自分は何をしていて、誰がどんな顔をしていたのか。その輪郭だけが、霧の向こうに置き忘れてきたみたいにぼやけている。
――まあいいか。
後ろから聞こえてくるソニアの足音も、さっきまで保健室でぶつぶつ言っていたリリスの声も、思い返せばいつもどおりだ。今はそれで十分だろう。
そう自分に言い聞かせて、ラムリーザはいつもの教室へ戻っていった。頭の中に開いた小さな穴のことは、たいしたことではないと信じ込もうとしながら。
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