めんどくさいけど、恋人
黄金の月・氷狼の日――(現暦:6月17日)
「暇だからどちらが先に涙を流すか勝負しよっか」
授業の間の休み時間、唐突に前の席にいるリリスは振り向き、何かをたくらむような目でソニアを見ながら提案した。
「涙を流す?」
「先に泣いたほうが勝ちってルールね」
暇つぶしに、よく分からない勝負をソニアに挑んでくるリリスだった。
あれ、デジャヴ? とラムリーザは思った。前回、先にキレたほうが負けとかやってなかったっけ? 今回はさしずめ泣き相撲ってことか?
常に冷静なリリスだから、今回は感情が表に出やすいソニアにも分があるだろう、とラムリーザは思う。まああれだろう、今日も暇つぶしにからかっているんだろう。ソニアはからかい甲斐があるというかなんというか……。
「いいわ、やるね」
ソニアは、今回もあっさりと勝負を受ける。勝算があるかないかすら考えていないのだろうが、何にでも興味を示すのは良いことなのか悪いことなのか……。
「…………」
「…………で、どうやって涙を流せばいいのよ」
「悲しくなるようなことでも想像したらいいんじゃないですの?」
審判役みたいな感じになっているユコが、ソニアの問いに答えた。
「悲しくなるようなこと……」
「…………」
「…………」
沈黙……。
この周囲だけが妙に重苦しい雰囲気になる。
その時、ラムリーザは思った。先日見た、例の自分を振った夢を思い出したら、ソニアはすぐに勝てるのではないかなと。
そのことをアドバイスしようと思ったが、思い直してやめる。リリスやユコに詳細を聞かれたら、何を突っ込まれるかなんて、あまり考えたくなかった。それに、その日の朝のことにも追及されたらまずい。
だからラムリーザは静かに流れていく時間に退屈して、リゲルのほうを振り返ろうと思ったときである。
ソニアの表情に、急激な変化が生まれた。
目にぶわっと涙が溜まり、見開いた両目からつうっと零れ落ちる。そして、「ふえぇっ、ふえぇぇん」と机に突っ伏して大泣きしてしまった。
その後も泣き止まずに、ひくっひくっと肩が震えているのだ。
「ええと……、ソニアの勝ちですわね……」
あまりの大泣きに、ユコは戸惑いを隠せない様子で判定を下す。
リリスのほうも、ここまで大泣きするか? とでも言いたそうな表情で、若干引き気味だ。
ラムリーザは、何も言い出すことができずに、しばらくその様子を眺めていた。
ただの遊び、ゲーム、どちらが先に涙を流すかというくだらない勝負。だが、この大泣きはゲームの範疇を超えている。
作った涙ではない、これは本気の涙だろう。
ラムリーザは、ソニアがいったい何を思い浮かべたのか、それが気になっていた。やはり振った夢を思い出したとでも言うのだろうか……。
だから、ソニアが落ち着くまでじっと待ち、彼女が机から顔を上げたときに、手を握って聞いてみた。
「ソニア、いったい何を思い浮かべたんだ? そんなに辛くて悲しいことがあるのなら、僕がなんとかしてあげるよ?」
ラムリーザの優しい言葉に、ソニアは困った顔でしばらくしゃくりあげていたが、そのうちボソボソと話し始めた。
曰く、ラムリーザとリリスが付き合っている場面を想像したら、それがものすごくいい感じで「負けた」と感じた瞬間、この世界に絶望してしまった……と。
「リリス……ラムを取らないでぇ……後生だからぁ……」
涙声で弱弱しくリリスに訴えかけるソニア。
リリスは何も言い返すことができず、懇願するソニアを睨みつけるように見据えた後、ぷいと顔をそらして前を向いて、右肘をついて、左手で自分の額をつつき始めた。
ラムリーザは大きくため息を吐き、むしろリリスに申し訳ないと感じてしまうのであった。
休み時間が終わって次の授業が始まったが、ソニアは魂が抜けたようにボーッとしている。昨日の今日であり、ちょっと感情の変化に身体がついていけていないといった感じか。
ラムリーザは、これは少しソニアの心のケアが必要だなと感じると同時に、めんどくさい奴だと思ってしまったが、すぐに「いかんいかん」と気を持ち直した。
そこで、昼休みにソニアを連れて、学校の裏山へ向かった。
人目を気にする必要もなさそうだと感じたラムリーザは、まずソニアをぎゅっと抱きしめた。
彼女の肩越しに耳を澄ませば、すぐ近くを小さな川が流れていて、せせらぎだけが静かに響いている。
裏山は、生徒のほとんど来ない隠れスポットのような場所だ。ときどきカップルがこっそり訪れて茂みの奥へ消えていくことがあるが、たいていは誰もいない。今日も同じで、二人きりで話すにはちょうど良かった。
だから、ソニアの耳元で優しく言って聞かせた。
「あのね、もっと自信を持とうよ。おっぱいの大きさは完全にリリスに勝っているし、脚線美などは、僕はソニアのほうが好きだな。それに、その青緑色の髪、綺麗だよ」
ラムリーザは、ソニアのほうがリリスより勝っているということを強調するような内容のことを語った。それでも語りながら、やっぱりめんどくさいと思ってしまった。
どうしてこうなった?
ラムリーザの好きなソニアは、楽しそうに笑っているソニアである。だが、ここのところ悲しんでばかりいる。本当に、どうしてこうなった?
去年までソニアは、このような反応はなかった。ラムリーザが、ソニアの友人だったメルティアやヒュンナと話をしていても、ラムリーザがどうなるかということを気にしている様子はなかった。
反応が変わったのは、恋人宣言してからだと思えた。
だがその関係は、双方の親公認、しかも現在同棲中というアドバンテージがあるのだ。それにもかかわらず、ソニアのリリスに対する危機感は拭えないのか?
それとも……。
「僕が信用できないのかなぁ?」
ぼそっと呟くと、沈んでいたソニアの表情が消え、代わりに焦った表情になる。
「ううん、違う、ラムは悪くない。あたしが勝手に思い込んでいるだけ、だから、ごめん!」
「勝手にっていうけど、ほっとけないんだよ。でもソニアが勝手に落ち込むたびに、いちいち気遣いするの、いい加減めんどくさいんだけどな」
「ほんとうにごめん! 変な夢と変なゲームが続いて、あたし変になっていただけ!」
「本当に?」
「ほんとにほんと、もうこんな風にならないようにするから、だから、あ……」
ソニアの焦っていた表情が、何かを思い出したかのように、真顔に戻る。
「どうした?」
「また足を揉んでる。ラムはすぐ揉む」
言われてみてラムリーザは、無意識のうちにソニアの太ももに手が伸びているのに気がついた。細かく言えば、靴下で覆われている太ももの下半分と、むき出しになっている上半分を交互に揉んでいた。
「だってこれ凄いぞ。ソニアもやってごらんよ」
ラムリーザは、ソニアの手を取って太ももへと持って行った。しかしソニアは、不満そうに言うだけだ。
「こんな靴下嫌い」
「でもそこを触った後にここを揉んだらすごいんだってば」
そう言いながらラムリーザは、ソニアの手を太ももの上半分と下半分を行き来させるのだ。
「面白くない」
「いや、面白いぞ」
その時ラムリーザは、ソニアの手を行き来させたことでさらに感触の楽しみ方を見つけたような気がした。
そこで試しに実践してみる。それは、手の甲で太ももを上から下まで行き来させることだった。靴下のちょっと固い感触が手の甲に伝わり、そのまま上に持って行くと柔らかいむき出しの部分に当たり――
「うわー……」
その心地よさに、思わず感嘆の言葉が漏れる。
ソニアはそんなラムリーザを、きょとんとした顔で見つめていた。
「ラム~、こんなところに連れ込んだのも、やっぱり……」
「うむ、察したか。ほら、おいで」
ラムリーザは、ソニアを誘うように再び手を伸ばした。だが、ソニアはピョンと後ろに跳ねて、ラムリーザの誘いを拒絶した。
「ダメ! もうこんなのダメ! ラムとはもっと別のことがしたい」
「ならば、そうできるようにしてくれたら、こっちも余計な気を回さなくて済むようになるから助かるよ」
「うん、だから今日はもういい!」
そう言って、ソニアはラムリーザの腕から離れた。そして、笑顔を浮かべてラムリーザに言った。
「ねえ、この裏山、散歩しようよ」
「りょーかい。でもあまり遠くに行かないぞ、休み時間内に戻れなくなってしまうからな」
裏山に流れる川に沿って歩き始めたソニアを追って、ラムリーザもついて行くのであった。
ソニアは川沿いの細い獣道を、慣れたような足取りで進んでいく。昨日までここを知らなかったはずなのに、まるで前から何度も訪れていたかのように落ち着いた背中だった。
きっと、この静けさがいいのだろうとラムリーザは思った。教室のざわめきも、誰かと自分を比べてしまう気持ちも、ここでは川の音に溶けて消えていく。ソニアは時折立ち止まり、小石を踏みしめたり、流れを覗き込んだりして、そのたびにほんの少し表情を緩めた。

――ああ、ここはソニアのお気に入りの場所になりつつあるんだな。
その背中を追いながら、ラムリーザは静かにそう確信していた。
とりあえずこれでいいか、願わくは、ソニアの勝手な思い込みがなくなりますように、である。
前の話へ/目次に戻る/次の話へ