あの時、もし君が振り返らなかったら
黄金の月・詩歌の日――(現暦:6月16日)
「こんな夜遅くに呼ぶなんて珍しいね、一緒に寝たいの?」
「こほん……」
夜も更けた頃、ラムリーザが自室で何もすることなくぼんやりと過ごしているところにソニアがやってきた。
二人が夜遅く会うのは、別に初めてではない。これまでも何度も夜更かしをして遊んでは、ラムリーザの母や、ソニアの父(屋敷の執事)に怒られてきた。
今夜は部屋に入って早々、ソニアは茶化して言った。これもよくあることだ。いつものノリに、ラムリーザは軽く咳き込む。だが、この軽い感じが好きだった。
「ソニア、今日は大事な話があるんだ」
ソニアはラムリーザの目が真剣なのに気がついた。普段見慣れた、頼りなさげで、のんびりした目ではない。だが、口調はいつも通り優しいものだった。
「ソニアって、結婚とか考えたことある?」
「えっ? な、何?」
ラムリーザは、じっとソニアの表情をうかがう。そこに浮かんでいるのは、驚きというか、狼狽というか。
「こっちに来て、ここに座って」
ラムリーザは、ソニアに自分が座っているベッドの隣に腰を下ろすよう促した。ソニアはその言葉に素直に従う。ラムリーザは、彼女から目を離して語り始めた。
「僕はもうすぐ帝都を離れる。そうなったらソニアとは離れ離れ、たぶん、もう会う機会はほとんどなくなるだろうね。だけどね、僕はソニアのことが好きなんだ。だからこれからもずっと一緒にいたい。でも、ソニアに好きな人がいるなら、その人と付き合えばいいし、僕もそれがいいと思う」
そこまで語って、ラムリーザは再びソニアの顔を見て、言葉を続けた。
「僕は今日までの楽しかった日々を終わらせたくないんだ。ソニアとこれからの世界を一緒に作っていきたいんだ」
「次の世界?」
言ってからラムリーザは、次の世界って何だ? と、自分は何を言っているのかよくわからなくなってしまった。もちろんソニアにもよく伝わらなかったようだ。
「そうだなぁ、僕はここから先の日常をソニアと作りたい」
「……」
「僕はソニアを選ぼうと考えているんだ、ついてきてくれるかな?」
「ラム……」
その時、ソニアの表情が硬くなり、ラムリーザの目をしっかりと見たまま言った。
「ダメ、やっぱりラムを恋愛対象として見られない。あたしたちは、変わらない今のままのほうがいいと思うの」
そうか、そうだよな、とラムリーザは思った。
二人の関係は、友人というスタンスが一番自然なのだ。なにしろ十五年の付き合いである。今さらこの関係を変えるというのも、難しいものがあるということなのだろう。それは、ラムリーザも薄々感じていたことだった。
「ラムのことはずっと忘れないよ。いつまでも最高の友達でいようね」
そう言い残すと、ソニアはラムリーザの部屋から出て行った。
ソニアがそう思っているのなら、それで十分だとラムリーザは割り切った。これで、これから一人で新天地に向かうことが決まったようなものだ。
部屋の柱時計が夜の11時を告げる中で、ラムリーザはこれからのことに思いを馳せながらつぶやいた。
「ソニア、さようなら。楽しかったよ」
ラムリーザは、ハッと気がついた。
すぐに下宿先の屋敷にある現実のベッドにいることに気がついたが、まるで帝都の屋敷にいるような気分にさせられた。
そしてラムリーザは、今のは何だ? と考えた。その結論にはすぐにたどり着いた。
「夢か……」
それは、この春ソニアに告白した時の場面そのままだった。ただし現実と違うのは、ソニアが受け入れてくれなかったこと。
だが、ひょっとしたらあり得たかもしれないもう一つの現実。
あの時ソニアが自分のことを受け入れてくれなければ、新天地にソニアを連れて行く強い理由はなくなっていた。元々使用人の娘であるソニアは、それに適した生き方というものもあったし、本来ならそういう道を歩む予定ができあがっていた。
その後は、いずれラムリーザはどこぞの名家の娘と結びつき、ソニアも身分相応の相手と結びつく。これが世間一般から見た自然の流れだったのだ。
それを無理やり自我を押し通して捻じ曲げたのが、今の二人である。
もしも……と思うと、ラムリーザは何とも言えない気分になって、自分の脇に目をやる。そこで、腕の中にいる娘に気がついた。
もう当たり前のことなのだが、ソニアだ。
ソニアはいつものように、幸せそうに寝息を立てて――いない。
怯えたような目に、涙を浮かべてラムリーザのほうを見ていた。
「なんだソニアも起きていたのか? いやぁ、なんというかリアルな夢を見ちゃってね」
ラムリーザは、軽い口調で語りかけながら、この世界線では恋人となったソニアの身体を抱き寄せる。その時、ソニアが小刻みに震えているのが身体を伝ってきて分かったのだ。
「ん? どうしたんだ?」
ソニアは何か言いたげに口をパクパクするが、なかなか声に出せないようだ。その表情に浮かぶものは、恐怖?
そしてしばらく経って、ようやくかすれたような声を出す。
「あ、あたし……、ラムを振った……」
「はぁ?」
突然わけのわからないことを言われて、ラムリーザは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「ラムを恋愛対象と見られない、ずっと友達のままでいようって……」
ここでラムリーザは、ん? と、怪訝な顔をする。先ほど見た夢の中で、ソニアはそのように言っていた気がする。さっきの夢は二人がシンクロしていたのか? 同じ夢を見ていたのか? と考える。
「どうして……、どうしてあたし、あんなことしたの?」
ソニアは、ラムリーザの寝衣の胸元をぎゅっと掴み、ぶるぶる震えている。よほど怖い思いをしたのか、その目から涙が一筋零れ落ちた。
このままだとダメだな、とラムリーザは思い、ソニアの頭をなでながら優しく語りかけてあげる。
「ソニア、安心して。この世界線では、ソニアは僕のことを受け入れてくれたよ。だから、そんなに怯えないの」
「ほんとうに? ほんとうに?」
「ほら、ソニアは僕の腕の中じゃないか」
ラムリーザは、ソニアを安心させるために、腕に力を入れてぎゅっと抱きしめる。
「あ、ほんとだ……」
そしてゆっくり、ゆっくりとソニアの身体の震えが少しずつ治まっていく。
ラムリーザは、しばらく何も考えずに、ただソニアの頭を撫で続けていた。そうすることで、いつの間にかソニアは、穏やかな寝息を立て始めていた。
それを聞いて、ラムリーザも安心して、再び眠りにつくのであった。
翌朝、ラムリーザが目覚めたとき、再び腕の中のソニアと目が合った。
「あ、ラム……」
「どうした?」
ソニアは目を伏せて言葉を続ける。
「ひょっとして今のこれが夢で、目覚めたら、あの告白を断った日の朝、自室で一人で目が覚めるってことはないかな……?」
やれやれ、昨夜の夢をまだ引きずっているのか、とラムリーザは考え、ソニアの中で昨夜の悪夢を上書きできるように、もっと強い出来事を重ねてしまおうとした。
「もしソニアが言うことが本当なのだったら、目が覚める前に、二人が愛し合っているこの世界線でキスしてくれよ」
そしてラムリーザは、ソニアに顔を近づけ、情熱的な朝の挨拶を交わすのであった。
「おはようございましょうか? ラムリーザ様」
「いや、結構」
「何ですの?! ひどいですわ!」
「冗談冗談、おはようございましょうか?」
「はい、おはようございましょうか?」
「なにその疑問系挨拶……」
朝の教室、今日もラムリーザとユコは、よくわからない挨拶をしている。過去形だったり否定形だったり、二人の挨拶はいろんな形式がある。そして今日は疑問系である。
「今日はいつもより遅いんですのね」
「うむ、ちょっとね……庭に爆弾が埋まっていたから、分解作業していたんだ」
ラムリーザは言葉を濁して適当な物語を作り上げる。まさか朝からソニアといちゃついていたと言い出すわけにはいかない。
「爆弾? なんですのそれは?」
「ええと、硝石や硫黄、木炭などを混ぜて――だったかな?」
「怪しいわね。それにソニアの髪の毛濡れてるし、朝シャワー? いつもと違って珍しいわね」
「爆弾が破裂してね、全身すすまみれになってしまったから仕方なく、ね」
じーっとリリスはラムリーザの目を見つめている。しかしラムリーザは、いつもと違ってリリスに見つめられても何とも思わなかった。妙に冷静に作り話をする自分がいたのだ。まるで、もしもの世界線を見てきたために、いろいろと想像力が豊かになっているかのように。
「ソニア、あなたラムリーザと今朝何があったのかしら?」
リリスは、ラムリーザを疑うのをやめて、その矛先をソニアに向けてみた。
「えっ? なっ、何もないよ? 今朝、今朝ねー、『ブッショウヤマ』で拾ってきた『動く蜜柑』が部屋の中を暴れまわって、捕まえるのが大変だったーよ、あはっ、あはははっ」
ソニアも、ラムリーザと違って冷静ではないが、よくわからない作り話をしている。ブッショウヤマってどこだろう? それに『動く蜜柑』って何なんだろうね。
「爆弾が出たのって本当?」
「うっ、うんっ。それでね、ラムの股間の爆弾がドッカーン! それに誘爆して動く蜜柑もドッカーン! ね、すごいでしょ?」
何を言っているのやら、まったくわからない。ラムリーザは呆れた。
もしあの春の夜、ソニアが振り返らず、友達のままでいようと背中を向けた世界線がどこかにあるのだとしたら、今ごろの自分はどうしていただろう、とラムリーザはふと思う。
その世界では、この教室も、この席順も、きっと大きくは変わらない。けれど、机に胸を預けてぼんやりしている青緑の髪の娘は、隣ではなく少し離れた場所にいて、「親友」として笑っているだけなのかもしれない。
そしてリリスかユコと付き合っていたのか、それとも誰とも付き合うことなく、どこぞの令嬢と縁談によって結びついていたのか。
どっちにしろ、この世界線では考えても意味がない。

ラムリーザは余計なことを考えるのはやめて、隣の席で大きな胸を机の上に乗せて、頬杖をついてぼんやりしている、青緑色の髪をした娘を見つめるのであった。
あの時、差し出した手を取ってもらえたからこそ、こうして腕の中の温もりを知り、朝のキスで悪い夢を塗りつぶすことができる今の世界がある。
振り返らなかった世界と、振り返ってくれた世界。そのわずかな分岐の上に自分たちは立っているのだと思うと、ラムリーザは、何でもない顔を装いながらも、隣のソニアを見つめる視線だけは、そっと強くなるのだった。
前の話へ/目次に戻る/次の話へ