リリスの教官になろう
黄金の月・星々の日――(現暦:6月9日)
この日、朝教室に入ったとき、ラムリーザは、ユコは来ているのにリリスは来ていないという状況を目にして、眉をひそめた。リリスとユコは、いつも一緒に登校しているはずなのだ。
これは昨日の件で打ちのめされてしまったのか……と思った。
「ユコ、おはようございません」
「おはようございませんですわ、ラムリーザ様」
ぷいっと顔をそむける仕草を見せるユコ。
「なんで挨拶が否定形なのよ……」
それに突っ込むソニアは置いておいて、ラムリーザは話を続けた。
「リリスは今日はお休み?」
「うーん、朝誘いに行ったら、リリスママに彼女はもう出たって言われましたの。一人で行っちゃうなんて、これまでほとんどなかったのにね」
「そうか……」
ラムリーザは考える。やはり昨日のことがショックだったのだなと。
リリスが完全に諦めてしまったのなら、ラムリーズはソニア主体で行くのも仕方がない。だが、もし彼女がなんとかしたいという気持ちなら、こちらもなんとかしてあげたいし、そのためにいろいろ手立てを考えることができる。
しかし、朝のショートホームルームが終わって、一限目の授業が始まっても、リリスは姿を現さなかった。
なんとかしたくても、彼女がいないのでは手が打てない。
休み時間、リリスがいないとソニアも静かなものだ。ラムリーザの傍に寄ってくるのはいつもどおりなのだが、大きな胸を机の上に乗せて、頬杖をついてぼんやりしている。混ぜるな危険といった類の文言は、こういった場合にも使用できるだろう。
そしてユコは、ソニアのそんな様子を見て何か言いかけたが、とくに何も言わずに机に突っ伏しているし、ロザリーンも話が盛り上がっていないので、席を移動せずにそのまま何か本を読んでいる。
そんな中、ラムリーザはリゲルに聞いてみる。
「リゲルなぁ、リリス、どうしよう」
「ん? リリスか? そうだな……、なんとかしろ」
「そりゃあなんとかしたいのは山々だけど、彼女が落ち込んでいるんだとなぁ……」
「リリスがいないとソニア一人がメインになるんだろ? それは勘弁な」
「何で勘弁なのよ!」
ぼんやりしていたくせに、悪口みたいなことを言われると即行で反応し、声を張り上げて抗議するソニア。
「その声がうるさいんだよ」
リゲルは耳を押さえて顔をしかめる。
いつものことだが、ソニアが声を張り上げると、クラス中の何人かはこちらに振り向く。それほど高く通る声なのだ。
もしもリリスが脱落してしまうのなら、ソニア主体ではなくボーカルはメンバー全員で均等に、という形にするべきか。しかしラムリーザは、それを望んでいなかった。
二限目の授業が終わった後の休み時間、担任の先生に連れられてリリスが教室に入ってきた。

その姿を見た時、ラムリーザは安心した。これでなんとかできるかもしれない。
先生に「もうサボるんじゃないぞ」とか言われて、リリスは「はい、ごめんなさい」と答え、自分の席に向かってきた。そしてラムリーザと目が合い、気まずそうな顔をする。
「リリス、おはようございません!」
そんなリリスに、ラムリーザは真顔で力強く挨拶をしてみた。ただし、謎の否定形挨拶だが……。
「え、あ、おはようございま……せん?」
「だから何で今日は否定形なのよ」
ソニアのツッコミは置いておくとして、この頓珍漢な挨拶でリリスの表情がやわらいだのを見て、ラムリーザは話を続けた。
「遅かったね、寝坊した?」
まずは深く追及せず、ありがちな理由を述べてみる。これで反応を見ようと考えた。
「え、でも――」
何か言いたそうにするユコを、ラムリーザは手をかざして制する。
すると、リリスは顔を赤らめてポツリ、ポツリと語り出した。
「あのね、昨日初めてライブしたけど、見ている人が多くて、何がなんだかわからなくなっちゃった」
「そうだね、たくさん見に来てくれた人がいたからね。ラムリーズって結構期待されているのかも」
リリスのほうから切り出してくれたので、ラムリーザは話をしやすくなったものだ。
「うん、だからね、人前で演奏できないのが悔しくて、朝から人通りの多い駅前で、一人で無理やり弾き語りを試してみたの……ほとんどできなかったけどね……」
「そうなんだ」
ラムリーザはリリスにやる気があるのを知ってさらに安心した。いつもと違って、口調に自信が感じられないが、彼女は逃げなかったんだ。
「でもね、お巡りさんに補導されちゃった」
てへっと笑ってくるあたり、それほどショックは深刻ではないということだろうか。
「しかしリリスも駅前でとは思い切ったことするなぁ、まるでストリートミュージシャンじゃないか。いいから少しずつ慣らしていこうね。リリスは技術はあるんだから、あとは場慣れだけだね」
そこでラムリーザはあることを閃いた。
リリスは弾き語りしていたところを補導されたので、今ちょうどギターを持って教室にやってきている。そこで、今この場で弾かせるのはどうだろうかと考えた。
「そうだ、今この場で演奏してごらん。クラス内だと、ある程度気心知れているだろ?」
ラムリーザは、これまでに聞いた話や見てきたことで、リリスはユコと二人だったり、部活の仲間だけの場所でやってきた時は、かなりの腕前を見せていた。
それが、周りに人が多くなるとできなくなってしまうのだから、少しずつ周りを広げていけば慣れていくかもしれないと考えたのだ。
そしてリリスは机の上に座り、ラムリーザたちのほうを向いて演奏を始めた。
演奏を始めたリリスは、明らかに周囲が気になっている様子だ。チラチラと周囲を見ていて視線が落ち着かない。
そこでラムリーザは、リリス一人にやらせるのはきついかな、と思い、ソニアにも参加するよう促した。
「ソニアも歌って。えーと、あれがいいかな」
それは、高音域と低音域の二つのパートがある歌で、二人は高音域をソニアが、低音域をリリスが担当して歌い始めた。
リリスはちらっとソニアのほうを見る。ソニアは周りは気にならないといった感じで、いつも通りに歌っている。それを見たリリスは、悔しそうな表情を浮かべる。リリスにとってソニアは、いつもからかってやり込めている相手なのに、今はソニアのほうが堂々としているのだ。
そんなソニアを見ていたら、リリスも吹っ切れたのか、目を閉じて表情が和らいできたようだ。というより、目を閉じた後は普段通りのような感じになっていた。
リリスは、まぶたが落ちると騒ぎが遠のいた、と感じていた。
教室の光は閉じ込められ、残るのは指板の地図だけ。息が胸の奥でゆっくり形になり、低音のラインが真っ直ぐ戻ってくる。客の気配はある。けれど「目」はない。拍だけを数えればいい。
彼女の口元に、わずかな笑みが戻った。
いつの間にか、数人のクラスメイトが周囲に集まり、輪になっていた。一部の生徒が、離れた位置からニヤニヤしながらこちらを見ているのが気になったりはするが、何がおかしいのかわからないので放っておくことにした。
歌い終わった後には、集まってきた生徒は「二人ともうまくハモるねー」とか、「歌声が美しいよ」とかいろいろと感想を言ってくれるのだ。
それを聞いてラムリーザは、得意げな感じでクラスメイトに答えた。
「当然だよ、この二人はラムリーズの目玉、主役の二枚看板だからな」
それを聞いて、ソニアも得意げに腰に手を当てて胸をそらす。その瞬間、大きな胸が美しいバウンドを見せるのだった。
「あの、その、ありがとう」
リリスは多少ぎこちないが、ラムリーザのほうを見て嬉しそうな表情で言った。
「うん、でもまだまだこれからだよ。もっと場慣れしていかないとね」
「はいっ、ラムリーザ」
「ラムリーザではない、教官と呼びなさい」
「……教官?」
突然のラムリーザの提案に、リリスはきょとんとする。
「あ、ラムはこの前あたしが買った『ドキドキパラダイス』やっててさー、なんか後輩の大人しい娘と仲良くしていて教官プレイやってたよ。それでやっぱりラムは胸が大きいほうが好みなんだよねってわかったんだ」
「言わんでいい!」
その後、あることを思いついたラムリーザは、携帯型情報端末キュリオを取り出して電話をかけようとする。
「あ、キュリオ使ってる。やっぱり便利でしょ?」
そんなラムリーザを見て、リリスは微笑みながら話しかけた。
「うん、だがネトゲはダメだからな」
「はいはい」
リリスを手で追い払い、ラムリーザは改めて目的の相手に電話をかけた。
受話器の向こうに呼び出し音が流れていく間、昨日の空白が耳の奥で鳴り続けている。
奏でるはずだった一音。沈んでいった横顔。あの一拍は、もう二度と落とさない。
リリスを必ず立ち直らせる。観客の前でもあがることなく、指が迷わない場所まで連れていく。リリスが演奏できない理由はそれだけではないような気がするが、一つずつ解決していけばよい。
そしてラムリーズを必ず最後まで走らせる。ここで止まるなら、始めた意味がない。
ジャンが受話器の向こうに出たので、深く息を整える。これからが大事だ。鼓動がテンポを刻み直した。