平和の終わり方

 
 帝国暦九十二年 黎明の月・女神の日(現代暦:十月中旬)
 
 
 昼休み、いつもの四人――ラムリーザ、ソニア、リリス、ユコは、涼しい屋上で雑談をしていた。

 いつものように天文学部のリゲルから屋上の鍵を借りて、ここへ遊びに来ていた。

 気になることと言えば、誰がいつ掃除しているのかわからないのに、ここは妙に行き届いていることだった。

「こうして周囲を見渡してみると、この学校って小さな山で囲まれているのね」

「自然豊かなところなんですのね」

「やっぱ都会の帝都とは大違いだよ」

 今日の雑談は、周囲の自然環境についての話題となったようだ。

 屋上には心地よい風が吹いているが、時折強い風が吹く。そのたびに、風がスカートの裾をふわりと持ち上げる。

「ああもう、やな風ですこと」

「いいじゃないの、誰も見てないわ」

 慌てるユコと、冷静なリリスが対照的だ。

「ちょっと散歩してきてもいいかな?」

「あっ、ラムがあたしたちのミニスカート捲れるところを見る気だ」

「ダメですの、ラムリーザ様はここから動いたらダメ!」

 その場を離れようとするラムリーザを、二人が制した。ラムリーザは、別にそういうつもりではないのだけどな、と思いながら仕方なくその場に留まった。

 四人は身を寄せ合い、左からリリス、ユコ、ラムリーザ、ソニアの順に並んだ。ぴったりくっついているので、スカートがめくれてもラムリーザからは見えなかった。

「そうだ、屋上でライブとかどうだい?」

 ラムリーザは何気なく提案してみたが、スカートの件で気が立っている三人から、非難が返ってきた。

「ラムリーザ様、そんなに私たちの破廉恥な姿を晒したいんですの?」

「ラムやらしー」

「油断ならないわ、ラムリーザ」

「いや、そんなつもりじゃ……。というか、君たちも反論することがあるんだな」

「ラムは従順なほうが好き?」

 ソニアは、上目遣いで尋ねた。

「そりゃあ素直なほうが好きだね。なんでもかんでも反論してきたら、さすがに鬱陶しいよ」

「だってさ、ユコ残念」

「何ですの? あなたも『やらしー』って言ったじゃありませんか」

「あーもう、その話はおしまい。そんなにスカートが気になるなら、裾に小さな重りでも仕込めばいいじゃないか」

 ラムリーザはめんどくさくなって、適当な案を出してみた。

「なんだか疲れそうですの」

「いや、別に五キロの重りを付けろとは言ってないよ」

 ラムリーザは、別に意識して五キロと言ったわけではない。しかしその言葉で、リリスとユコの二人の視線は、ソニアの巨大な胸に向くこととなった。

「ごっ、五キロ言うなっ!」

「胸に五キロの重り、くすっ」

 ラムリーザが気がついたときには遅かった。ソニアとリリスの口喧嘩が始まってしまったのだ。

 まあいいや、とラムリーザはそう思い、口喧嘩に挟まれたまま遠くの山を眺めていた。

「……平和すぎて、なんだか眠くなってきそうですわ」

 ユコが小さく欠伸を噛み殺したその時、屋上の扉が嫌な音を立てて震えた。

 楽しげに踊っていた風が急に凪ぎ、代わりに重苦しい、泥のような足音がコンクリートを叩いて近づいてくる。

 そこに、風とは違う「圧」が立ちのぼった。

 

「おら!」

 

 背後からドスの効いた声が響き渡った。

 ハッと振り返ると、そこにいたのはリゲル――ではなかった。

「おうおう、仲良いねぇ」

「いいもの見せてもらったよ、眼福眼福」

 そこには、見るからにガラの悪い男子生徒が三人並んでいた。

「ふ、不良ですわ……」

 ユコは怯えたように小声でつぶやく。

 ラムリーザは、その三人の中の一人に見覚えがあった。鋭い眼光と、黒髪を一房だけ長く伸ばしていて肩から前に垂らしているのが特徴的な男子生徒。

 中庭やラブレター騒動のときに見かけた彼は、リゲルから聞いた話では、確かレフトールという奴だったはずだ。

 レフトールは黙ったまま、子分たちだけに吠えさせている。三人の中で、目が笑っていないのは彼だけだった。

 子分の一人、赤髪のほうは、ラムリーザたちに近づきながら、悪態を吐く。

「だいたい、お前何なん? 美少女三人はべらせて。可愛い女の子は装備品だとでも思ってんのか?」

「俺たちとも仲良くしない? へらへら~」

 もう一人の金髪のほうは、ニヤニヤしながら軽い口調でからかってくる。

 どうやら、ラムリーザが女の子三人と仲良くしているのが気に入らないようだ。

 ラムリーザは、「まあ君たち、そう慌てるな」と平然と言い返しながら、小声でソニアたちにだけ聞こえるように言った。

「逃げろと言ったら逃げろよ」

 リリスは黙ってうなずき、ユコの手を握った。

 ラムリーザは前に出てきた二人の間に割って入り、レフトールと向かい合う位置に立って言った。

「逃げろ」

 その言葉と同時に、リリスはユコを引っ張って、校舎の入り口へと駆け出した。ソニアも慌てて後を追う。

「こら! 誰が出ていっていいと言った!」

「待てやこら!」

 二人の男子生徒は追いかけようとしたが、ラムリーザはすばやく手を広げてその動きを制した。

 その隙にソニアたちは逃げ出すことに成功し、校舎の中へと消えていった。三人が校舎に消えたのを見届けて、ラムリーザは「ふぅ」と息をついた。

「さて……」

 しかし、逃げられた二人は怒りを露わにした。

「お前、女を守ったつもりか?」

「かっこつけやがって!」

 子分のうち、乱暴なほうがラムリーザの胸倉を掴んでくる。

 ラムリーザはため息をついて、その手を掴んで思い切り握りしめた。

「のあぁぁ!」

 男子生徒はすぐに苦悶の表情を浮かべ、妙な悲鳴を上げる。

 連れの軽そうなほうが、慌ててラムリーザの腕にしがみつくが、その程度ではびくともしない。

「レッ、レフトールさんっ! こいつやばい! 痛い、痛いって!」

 手を掴まれた男子生徒の悲鳴を聞いて、レフトールは動き出した。子分たちの粗さとは違う、彼だけは動きが「武術」だ。

 レフトールが一歩、踏み込んだ――足音がしなかった。踏み込みは、物理法則を無視したかのように滑らかで、それでいて爆発的だった。
 

 
 あ、まずい。そう思った瞬間には遅かった。視界の端で動いたはずなのに、次の瞬間にはもう目の前にいた。

 レフトールの蹴りが顔面を捉え、ラムリーザの視界は暗転した……。

 

 

 ソニア、リリス、ユコの三人は、必死に走って教室へと向かっていた。

 逃げながら、ソニアはぼやいた。

「あーもう、帝都ならもうラムを襲うような馬鹿はいなくなったのに、これだから新しい場所は――って、あーっ!」

 ソニアは愚痴をこぼしていたが、教室の前で突然大声を上げて立ち止まった。

 リリスとユコも立ち止まって振り返って、不思議そうな視線を向けている。

「どうしたのかしら? そんな大声出して」

「い、今はソフィーちゃんがいないんだった……ラムだけだと危ない……」

「どうしたんですの? 顔色が悪いけど? ソフィーチャンって何?」

「ラ、ラムが殺されるかもしれな……」

「はぁ?」

 半泣きになっているソニアを、リリスとユコは怪訝な目で見ている。殺されるとは物騒な話だ。

「いや、そこまでやらないでしょ、あいつらでも」

「そうですわ、りんごを潰したり、140ギガパンチのラムリーザ様が、負けるわけないじゃありませんの!」

「……と言っても、一人だけ残してくるってのも、ちょっとあれだったかも」

 慌てて逃げてきたが、リリスは落ち着いてくると、少し罪悪感を覚えているのだった。

 ちょうどそこに、リゲルが通りかかった。ソニアは、リゲルの袖を掴んで懇願する。

「リゲル! ラムを助けて!」

「何だよ急に?」

 いつものように、うるさそうに追い払おうとするが、今のソニアは必死でリゲルにすがりつく。その様子を見て、何かあったな? とリゲルはすぐに感づいた。しかし助ける義理は……と一瞬思ったが、ラムリーザの恋人だから、一応義理はあるかと考えた。

「屋上でこの前の不良が!」

「ちっ、レフトールか……」

 リゲルは軽くため息をついて、ソニアに引っ張られるようにして屋上へ向かった。その後ろからリリスとユコはついてきている。

「ソフィーチャンって何ですの? リリス知ってます?」

 ユコは小声でリリスに尋ねたが、リリスは一度顔を合わせただけなので、あまり覚えていないようだった。

「確かラムリーザの妹。ソフィ……ソフィーティア……だったかな? そんな感じの名前だった」

 正確には、ソフィリータである。

 

 屋上に戻ると、ラムリーザはうつぶせに倒れていた。

 レフトールと子分二人は、少し離れた場所で何事もなかったかのように立ち尽くしていた。気のせいか、少々困ったような顔をしている。

「あ! やったな!」

 ソニアはラムリーザに駆け寄り、三人を睨みつけながら大声を張り上げる。

「ラムみたいな優しい人をボコボコにして楽しい?!」

 しかしレフトールは、うるさそうに答えるだけだった。

「ボコボコにしてねぇよ。一発蹴ったらそいつは『バタンキュー』になった、弱すぎるぞ。まぁ、これまでに俺の蹴りを食らって生きて帰った奴はいねーけどな」

「何よ三人がかりで卑怯なことしたくせに! あーん、ラムごめん! 目を覚まして! あたしたちが逃げたからラムがこんな目に!」

 ソニアは、意識を失っているラムリーザにすがり付いて泣き叫ぶ。

 レフトールは、その姿を見て一瞬だけ目を揺らした。ちょっと加減を誤ったか? そこまでやるつもりはなかった、とでも言いたそうに……。

 そうした迷いを見せながらも、レフトールは軽口を叩いた。

「で、ボインちゃんは戻ってきて何? やっぱ俺たちと遊びたいのか?」
 

 
 そこへリゲルが割って入った。冷たい視線をレフトールに向け、静かに言った。

「ほう、遊んでやろうか?」

「う……リゲル……。やっぱそいつはお前の仲間なのか?」

 リゲルの姿を見て、レフトールはたじろぐ。

「お前はアホだろ、喧嘩する相手はちゃんと考えるんだな。どうなっても知らんぞ?」

「う……あんたかてアホやろ、うちかてアホや。ほな、サイナラ! おいピート、チャス、お前ら行くぞ!」

 レフトールは妙な台詞を吐き捨て、慌てて屋上から立ち去っていった。残りの二人も慌てて後を追う。

 リゲルは、三人が立ち去って行った校舎の入り口を見つめながら、「まったくあいつらは……」とつぶやいた。

 一方ソニアは、一生懸命ラムリーザを引き起こそうとしている。なんとか持ち上げて背中に担ぎ、よろよろとふらついた。

「ん? 何をしているんだ?」

 リゲルは振り返ってソニアに言った。

「ほっ、保健室にっ……」

「……ふぅ。危なっかしいな、貸せ」

 リゲルはソニアからラムリーザを受け取り、ひょいと抱えるとそのまま校舎へと向かった。

 ソニアたちも顔を見合わせ、その後を追っていくのだった。

 ほんの十数分前までは、平和に風景を眺めていたのが嘘のように感じられた。

 風も、空も、山の稜線も、何ひとつ変わっていないのに、いったい何がどうなっているのだろうか?

 穏やかな風が吹く黎明の月の屋上に、大切な何かを置いてきてしまったのかもしれない。

 ――平和という名の、無邪気な時間を。
 
 
 

 
 
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Posted by 桐代音若